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runbeecの日記

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2007.07.01
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エジプトからシリアに進軍したとき6,000人ほどの捕虜を得た。敵地であり食料もない。連れて行くことも放すこともエジプトへ送還することもできない。結局ナポレオンは捕虜を銃剣で皆殺しにすることを選択する。銃を使ったほうがまだ親切なんだろうが弾薬も節約しなければならないのだから悲惨だ。フランス兵の方陣の中で捕虜は銃剣で突かれ皆殺しにされた。
もっともフランス兵も集団から脱落したもの負傷したものはみんな執拗につけてくるベドウィン人に皆殺しにされているのだからどっちもどっちという気もしないではない。ただ正規兵の虐殺はなんとも後味が悪い。こういう敵地の真っ只中で征服行為をすること自体戦略的にまちがっていると思う。
このころのナポレオンは補給面や病人、負傷兵の処理などでけっこう非難されている。まぁ落城させることは簡単だと思ったのか食料の供給を怠って軍は飢えに苦しむ。
またついにアッカ攻略をあきらめ戻る途中病人や負傷兵を輸送船で送りかえすこともできたのに英軍との接触を一切禁じて接触をもったものは死刑にすると命じる。かたくなである。英軍に傷病兵が乗る船を攻撃しないよう頼むことができないのだ。このためペストなどにかかった病人や戦うことのできない負傷兵は置き去りにされほとんどは皆殺しにされたようだ。ちなみに片足を失った兵士が妻とともに見捨てられているところを英軍はこれを助けている。英軍はトルコ兵よりはまだ良識をもっているのだろう。
何ゆえフランス海軍がイギリス海軍に劣るのかわかりませんがナポレオンがひどく英軍を憎んでいるのはあきらかですね。
このナポレオンの捕虜虐殺の場面で思い出すのが二人。白起将軍と項羽である。かれらは6,000人どころではなく何十万人も白起将軍は百万人近くも穴埋めにしているといわれている。まぁ史記の時代のことですから数は多少大げさかと思いますがそれでも大量虐殺はしたということですね。
それでこの3人について共通するところはとみれば戦術ではみな素晴らしいもののみな裏切られる傾向がある。白起将軍は王ではなかったけれど自殺に追い込まれる。人を殺しすぎたと述懐している。項羽は覇王にはなったもののそのえこひいきと残酷さゆえか次々反乱を起こされて劉邦に天下をとられる。ナポレオンもたいして違いはない。皇帝になっても長続きせず結局は敗れる。
そう思うとヒトラーのユダヤ人虐殺がある。ただこれは一般人そして一民族の抹殺が目的だから多少意味合いがちがう。ヒトラーのほうがひどいなぁ。五十歩百歩かもしれないが。
やはり虐殺はまずいですね。虐殺せざるをえなかったといってもナポレオンが勝手に進軍したのが原因だ。征服欲にかられた結果だ。敵地の中で戦うことをあまりに軽く見すぎている気がする。この戦い方でナポレオンが征服者志向であることが垣間見える。






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Last updated  2007.07.01 11:29:42
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