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2011.04.09
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カテゴリ:歴史
煬帝は父を殺したうたがいがあり、長男の兄の一族をたぶん抹殺。これと同じことを李世民もしている。父の李淵を殺害はしないものの幽閉。反目していた長男健成と4男元吉を殺害。女性の場合は助かっている人もいるようですがほぼ一族抹殺。
これが中国の話だけではないのですね。よく考えると日本でも似たような話があるということに思いいたりました。
斉藤道三と義龍です。ただ斎藤義龍の場合は嫡男でした。しかも家督を譲り受けているのに父道三が心変わりをして弟の孫四郎や喜平次を寵愛し義龍を廃しようしたため義龍が行動をおこすことになった。たぶん家臣団に道三は敵が多かったようです。道三に味方をする家臣が少なく多勢に無勢で道三はあえなく敗北。戦死していまいます。
不思議なのは狡猾で頭のいいはずの道三が負ける戦いをしているのですね。戦力はおそらく2500対17500。7分の1です。理由の一つは義龍を無能と思い込んでいたからのようですが自分の息子なのにずいぶんと甘く見たものです。おそらく道三と義龍の不仲につけこんで道三に恨みをもつ家臣か道三をだましていた可能性もあるのではと思います。また道三は道三で当主になるために相当恨みを買っていますので義龍のとりまきが気に入らなかったのかもしれません。こういった権力争いですから義龍は道三が寵愛していた弟二人を殺害してしまいます。
若いころに読んだ織田信長の小説では大抵義龍・龍興父子はよく書かれていません。しかし今はネット時代。義龍の項を見るとかなり有能な当主だったようです。残念ながら35才という若さで亡くなっていますがもし生きていたら歴史が変わっていたかもしれないと思わせるような人物ですね。信長の運の強さが勝ったというところですか。そしてまだ青年にすぎなかった子の竜興では信長に敵対するには若すぎたんでしょうね。斉藤家は滅んでしまいます。
歴史は勝利者のものですからどうも義龍・龍興父子のことはよく書かれていませんが戦国時代の異常な世の中では権力争いの中で親兄弟が争うことは一概に悪と決め付けることはできないようです。なにしろ命がかかっていますから黙って死ぬのは実力主義の戦国時代にはそぐいません。勝ったものが生き残り生き残ったものが歴史を書くということになります。もしも義龍が長生きして信長暗殺にでも成功していたら義龍が信長にとってかわっていた可能性だってあったのです。
たしかに歴史には流れがありますが個々の事象には偶然が大きく作用しているんですね。平和時には悪であることも戦乱時や建国時の権力争いにおいては一概に悪と決め付けることはできないようです。生き残るためには平時には悪といわれることもやらざるをえないのかもしれません。後世文句なしの名君といわれた李世民もその一例なのでしょう。






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Last updated  2011.04.09 19:32:05
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