江戸
友人と江戸と江戸川についてあれこれ話し合っていた。そもそも彼は江戸っ子、私は信州の田舎っぺ、だから知識の程度が違うのは当たり前なのにだ。しかしネット検索は私の方が手馴れていると思う。 先ず江戸の範囲が問題となり、私は江戸川までが江戸と思っていて、AIチャットに訊ねても同じ答えだった。だがそれは間違いであり、江戸は荒川までだったようで、質問の仕方がよくなかったようだ。 荒川以東江戸川までは武蔵野の一帯で荒野や農地だったがそれも時代によって変化している。江戸中期には人口が100万人を超えるほど江戸は発展しているので、周辺へと広がっていったが、江戸直轄と言う意味では幕末までは荒川までだった。 江戸川と呼ばれるようになったのは、利根川から分琉して江戸の海(江戸前)に至る利根川東遷と言う大規模河川工事で舟運送が可能となり、「江戸の運河」と呼ばれ、それが江戸川となったようだ。それまでは大日川と呼ばれる小さい川筋だった。 江戸末期のこの地域は武蔵野国の葛飾郡とか江戸川郡などと呼ばれ、幕府直轄で開拓が進められていた。江戸川まで東京となったのは、東京が整備された昭和初期のことだった。幕末の江戸の地図を見ると、江戸川東岸側は下総国となっており、葛飾郡は江戸川の両岸に跨っていた。 次いで神田川だが、上流を神田上水、中流を江戸川と呼び、さらに下流は神田川と呼ばれていた。つまり江戸時代は2本の江戸川があったことになる。昭和になって全て神田川の呼称で統一された。これに由来する地名が現在まで残っており、文京区の江戸川橋駅や区立江戸川公園などにその名をとどめている。なぜここに江戸川の名があるのか、現在の東京っ子は疑問に思ったことがあるだろうか。 江戸幕府末期の管轄地を現在の地図に示したものが見付かった。 赤線内が江戸御府内、黒線内が町奉行支配内