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テーマ:いつか来る親の介護の時(11)
カテゴリ:戯れ言
来年90歳になるY伯母ちゃん(父の姉)は現在、特別養護老人ホームで穏やかに過ごしています。
なんて言うと、さも幸せそうに聞こえますけど。 もう少し具体的に彼女の状態を説明すると以下のようなところ。 寝返りをうてるくらいの身体能力はまだあるようです。 目は完全に見えなくて、耳はなんとか聞こえる程度。 ごくたまに何かしらの言葉を口にするようですが、あまりはっきりではありません。 消化器官は元気で、それなりに食べているようです。 昼間は多くの人が行き交う広間で車椅子ベッドで過ごし、夜になると落下の危険があるのでベッドではなく布団の敷かれた個室で休む、そういう日々です。 ほとんどの時間はウトウトしているようですが、たまに意識がはっきりすると、口にする言葉が「はよしにたい」だそうです。 そんなY伯母ちゃんは8人兄弟中、一番優秀だったとのこと。 父を初めとした他の兄弟姉妹が、口を揃えてそう言っていました。 それを実証しているのが、彼女は東京の女学校に通っていたことがある、という事実。 ただし、ほんの1年少々のことのよう。 詳しいことは私も知らないのですが、時期としては昭和18年から19年あたりの頃でしょうか。 何故わずか1年で終ったのか、推して知るべし。 子供の頃、お婆ちゃんちに遊びに行くと世話をしてくれたY伯母ちゃんとI叔母ちゃん。 クールであまり笑わないY伯母と、快活で良く笑うI叔母、私はどちらかと言えばI叔母の方が好きでした。 そんなあまり笑わないY伯母が、珍しく嬉しそうにしていた様子を、先日ふと思い出しました。 「あの頃は地下鉄に乗って銀座に行って美味しい物食べたりしたよねぇ」と親戚の誰かと話していたことを。 どうやら女学校に通っていた時の思い出話だったようです。 その1年少々はおそらくY伯母の人生で明るい未来の希望に満ち溢れた、最も輝かしい日々だったのでは。 もちろん戦争だけが、その明るい未来を奪った訳ではないでしょう。 それでもその後の彼女の人生からすると、10代の頃の絶頂期がどれほど遠い昔のことであるか、それを思うと切なくて切なくてなりません。 見舞いに訪れた私の手に爪を立てたY伯母ちゃんの憎しみ、それは「妬みの心」だと思います。 自由きままな人生を送る私への妬み、おそらく私以外のあまり親しくない人間全てに対する妬み。 自分の人生はこんなはずではなかった、そういう後悔の思いから生じる他人を羨む心。 それはきっと今生まれた物ではなく、ずっと昔からY伯母の心の奥底に隠されていたはず。 目も耳も体も効かなくなり諸々の心の鎧が剥がされた時、最後に残っていたのがこの「妬みの心」なのだとしたら、あまりにも悲し過ぎると思いませんか。 ひょっとしたら自分も同じかもしれない。 自分でも気が付かないうちにこの「妬みの心」をひた隠しにしているかもしれない。 そしてY伯母ちゃんと同じように、死を目前にしてそれを露わにしてしまうのかも、そう考えると背筋に冷たい物が流れるのです。 更新の励みにイチポチよろしく! 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.12.07 00:11:35
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