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GWもいよいよ終盤戦という5月5日より1泊2日で、北陸へ車を走らせました。
朝4:30に家を出発ですよ(爆)。 最初のお寺に開門と同時に入りたかったですしね。 その最初のお寺が石川県小松市にある「那谷寺」。 白山信仰、白山修験の場でもあります。 何よりも本堂と鎮守堂の懸造りが立派。 これを拝むためにここまでやって来たのであります! ←本堂。 ←鎮守堂。 以前は鎮守堂に関しては別の角度からも画像が撮れたようですが、現在その場所への参道はクマが出没するため禁止となっていました。 残念。自然の力にはかないません。 本堂の裏は岩屋になっており、胎内くくりができました。 ←胎内くぐりの出口。巨石のトンネルとなっています。 そして、懸造り以上にインパクトがあったのが、「奇岩遊仙境」をはじめとした巨石、奇石の数々。 そして、琉美園の三尊石。 ここは自然崇拝の極み的場所だと思いました。 そして、ここから林道に入り山頂上近くにて車を停め、谷を一気に下ります。 そこにあるのが「役行山洞窟」。 そもそも林道が半端なく過酷でしたが、車を停めてからの洞窟までの道のりも過酷。 それでも、地元の有志の方が山道を整備して下さり、遭難することは全くない道となっていました。 が、道幅30㎝で横が谷という過酷な道であることは変わらずですので、まちがってもサンダルやヒール、スカートでは到達することはできないと思います。 ってか、間違いなく滑落するしーーー。 私はただただ、役行者ゆかりの地でありますので、是非ともお参りがしたかった! 駐車場側の風景(左)と、山道を横切る滝(右)。 そして、たどり着いた洞窟。 ここには地元の人たちが書かれた説明板がありました。 「昔奈良時代、役の小角と云う修験者が居り、全国を旅して修行をしたとか、その行者が白山禅定道(登山道)の道筋に当たる菩提の奥の屈で修行をした、それで役行と云う」 白山修験の開祖は僧である泰澄なのですが、彼よりも前にこの地で役行者は修行をしたということに年代的にはなります。 場所が本当に笑えるくらい行場。 お参りする側も命がけ。 実はここをお参りした後、能登半島沖で震度6強の地震が発生。 この後に行く同じ山の山麓にある赤瀬那殿観音へのお参りを知っていた知人たちから地震の心配のメッセージを頂いたのですが、いや赤瀬那殿観音より、こちらで遭遇した方が私の身の安全に関するリスクは大でした。 赤瀬那殿観音自体がマニアの間でしか知られていない古刹なのですが、もっと洞窟は認知度低し! でも、こっちの方がよっぽど危険。 という訳で、林道をひたすら下り、その山麓に着く途中にあるのが「赤瀬那殿観音」。 こちらも懸造りの本殿があります。 少し引いてみると、巨石に本殿が食べられています(笑)。 そう、懸造りも素晴らしいのですが、ここもまた巨石だらけの場所。 奥之院の巨石の裏を廻ると明らかに行場だし……。 右の画像なんて「〇〇の覗き」と同じ形状というか環境。 ←こんな感じです。 自然崇拝からの山岳信仰というのがよく分かります。 ちなみに、ここ赤瀬那殿観音は那谷寺の奥の院と言われています。 さて、林道を無事に下って、思った以上スムーズなお参りとなったので、次回の北陸の旅にお預けにしようと思っていた「白山比咩神社」へ足を延ばしました。 ここは加賀一ノ宮でもあり白山信仰の総本宮でもあるため、はい、この日初めての人混み(笑)。 ここの神社の歴史は半端なく古いです。 崇神天皇の時代、紀元前91年に白山の「まつりの庭」として社殿が創建されたところから始まります。 ちなみに「まつりの庭」というのは「祭事を行う場所」のことだそうです。 御神体山は白山ですので、御神体の山頂ではできないのは確か。 今でもフル装備での登拝となりますが、当時は装備なんてなかったのですから、命がけになりますからねー。 本殿は画像の通りですが、私はこちらの方が本当の御神体だと思っています。 社額が「白山奥宮」となってますしねー。 いや、立派な磐座です♪ という訳で、予定以上に自然崇拝と山岳信仰どっぷりの1日目となりました。 登拝後はやはり温泉ですよねーーということで「辰口温泉総湯 里の湯」で汗を流してきました。 が、実はここに車を停めた瞬間に地震に遭遇したのです。 車の中でも揺れる時は揺れるんですねーーー。 その夜はこちらに住む友人と合流して北陸の幸を堪能いたしました♪ 以上が5月5日、北陸の旅1日目の記録でした。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年05月11日 07時00分09秒
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