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図書館で1年待ちでした(笑)。
それが『天才たちの未来予測図』。 1年も経ってしまったら今やテレビ番組でそこそこお見かけするうになった方々も。 その中で成田悠輔さんに関しては、以前見たテレビ番組で私としては納得できない調査結果に対する考察があり、それが気になっていました。 その発言というのは、進学校に合格した人と不合格になった人のボーダーを比較したもので、将来的な年収だったか、進学先だったかは大差なかったというものでした。 ここまでは結果なのでとりわけ気にもとめなかったのですが、その後の考察であろうと思われる発言で、どちらに進学しても人生が変わらないというような話になったのです。 確かに結果だけを見ればそうなのですが、データ化できないところで大きな違いがあります。 学校によってカラーが異なりますので、そこから得る人脈だったり価値観はかなり変わってきます。 偏差値的な能力には将来的にも変わらないだろうけど、この部分はその後の歩む道に大きく影響していくのではないかと思います。 たとえば、就職先は一緒だったとしても、人脈があって入社するのとそうでないのであれば、その過程も異なってくるでしょうし、入ってくる情報量も違うものと思います。 そこには個人の気質も絡んでくるので一概には言えませんが、コミュ力なども一緒だとしたら、少しでも上位層の学校の方が人脈は広くつながっていくと思われます。 実際に公立中高一貫校を卒業したお子さんを持つ友人は、今振り返れば、無理して中高一貫に入れずに、地元の中学、高校にいれた方が良かったのではないかと我が子にこぼしたことがあるそうです。 そうしたら、そこのお子さんは、無理しててもこの学校で良かった。地元だったらこのような人脈は生まれなかったとおっしゃったそうです。 人脈とは友人のことを指します。 もちろん、私は高偏差値がいいと言っている訳ではありませんが、データからの考察がどちらに進学しても大差ないという発言となっていたために、あえてこのようなことを書きました。 が、まだ話は続きます。 今回本書で彼のインタビューを読んだら、テレビでの番組は彼の発言の一部を切り取ったものではないかと思いました。 そこまでは言い切ってなかったんですよ。 本書では「進学校に入ると頭がよくあるのではなく、頭のいい人が進学校に入っているだけ」というものでした。 なので、どのような学校に行っても頭のいい人は将来の行き先はおのずと似ているということだけが言いたかったのだと思います。 更に本書では、いくら経験重視の学力に社会が変わっていっても、基礎学力、つまり今の日本のような義務教育はインフラとして必要だということも語っていました。 これには共感します。 天才的に突出したお子さんはともかく、18歳人口の大半をしめる一般的な能力の持ち主にはやはり基礎学力を持った上で、自分の得意とする分野(経験値)を伸ばすというのが大切なことではないかと思います。 ただ、アメリカを引き合いに彼は出していましたが、この方向で進んでいるアメリカはかえって格差社会が広がっているということです。 経験値をお金で買えるかどうかという社会になっているということです。 はぁーーー、結局お金なのか……。 世知辛い世の中です。 いや、お金は大切なんですけど。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月10日 06時44分51秒
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