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2012.06.26
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カテゴリ:カテゴリ未分類
200px-Hidakokubunji01ds3200[1].jpg 飛騨の匠というのは、今から1300年前の奈良時代に飛騨から都のために派遣された人たちのことを言います。

以前は、飛騨と言う地域が米がとれない貧しい地域だったから、税金の租庸調を免除されるかわりに、木材の扱いに慣れた人たちが毎年100人づつ奈良の都へ派遣されたと言う説があります。

でも、最近の説では、飛騨の人々が大工の技術や奥山から木を伐り出す技術にたけていたので、その技術が政府にとっては欲しくて、租庸調の税金を免じてまでも人を派遣させたとする考え方に変わってきている。

飛騨から奈良の都に行った人たちは、結構優秀な人たちが多くて、奈良の都の近くに町を造って住んだり、現地で子供ができ定住する人もいました。

ところが、飛騨の方からは毎年100人づつの割り当てがあり、送りださなければいけなかった。

当時の政府は、今で言うヘッドハンティングを中止させたり、逃げ出してしまった飛騨人を探し出すなどに奔走しました。

飛騨の匠が造ったといわれているものは、奈良の法隆寺の釈迦三尊像(国宝)をはじめ、法隆寺の夢殿など、当時の有名な建物や仏像が多いのです。

また、五重塔など建造物も地震の多い日本において倒れないような工夫がなされています。

どれも飛騨の匠の技術を使った建物と言われています。

「万葉集」には、飛騨人の歌が紹介されています。

そして、民謡の「木曾節」には、木曾の中乗りさんの話がでてきますが、実はあれは飛騨の話で、飛騨の奥山から伐り出した材木をいかにして大きな川に流すか、そのための技術をもっていたのが飛騨の匠ともいわれています。






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Last updated  2012.06.26 12:42:44
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