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![]() バルカンの心 『バルカンの心,ユーゴスラヴィアと私』(田中一生,2007年,彩流社)読了。 バルカン研究を切り開いた在野の碩学の,結果的に遺著となった論集。後書きの日付が2007年2月25日,執筆者紹介の最後が,2007年3月9日没。 この間の事情は,編集者の方がご自身のブログにて紹介されている。 論考,研究,エッセイや翻訳本の後書きなどを集成したもので,収められている文章は1972年から2007年までに及ぶ。 内容の紹介は,私などがなすより, 版本の彩流社の書評に詳しいのでそちらを参照してください。 拙い感想を少々。 まず何よりも,文章が素晴らしい。文学の翻訳,しかもノーベル賞受賞作品から19世紀の韻文の叙事詩まで手がけられた方だけあって,端整で格調高く,情景描写に優れ,それでいて読みやすい。 「地域学の研究は,最終的には精神史だと思います。その精神史に最も深いところで一番関わるのは文学であり,あるいは哲学です」という信念が,このような仕事を可能にしたのだろう。 そこから,次のような辛辣な言葉も出てくる。 「ユーゴスラヴィアが解体する中で,卑劣な政治家と彼らに踊らされた人びとが,互いに「正義」を称えて汚い戦争をしてきた。コソボも例外ではない。そして何か事があるたびに「バルカンは民族の坩堝」である,だから「バルカンはヨーロッパの火薬庫」なのだといった式の解説が,即席の東欧ないしバルカン専門化によって,まことしやかに語られてきた。確かにそうした一面もなくはない。だが,あくまでも一面であるに過ぎない。〔中略〕バルカンといえども多民族が共存してきた時間のほうが戦争をした時間よりも遥かに長く,多彩な文化を生みだしてきたことを,決して忘れてはならない。(中略)それにしても文化を抜きにした民族論議はあまりにも空しい(同書pp.71-72) この書を知ったのは,「季刊サッカー批評35」の木村元彦氏の追悼文「追悼田中一生 小国の大きな一歩,モンテネグロ代表初来日に向けて」であった。『バルカンの心』の巻末には,2006年9月のNHKの「ラジオ深夜便・こころの時代」に「我,バルカンとの架け橋とならん」と題して出演した際のインタビューが採録されている。その中で,「オシム監督,知り合いですか」とのインタビュアーの問いに氏は 「いちど雑談したいですね,まだお会いしたことはありません。幸いストイコビッチ選手とは2,3度インタビューとかその他でお会いして一緒に写真を撮ったこともあります。オシム監督,楽しみにしております」と答えている。 そして前述の木村元彦氏の追悼文には, 「私にとって痛恨の極みは生前,田中さんにオシムを紹介できなかったことである。〔中略〕オシムにも「あのニェゴシュを翻訳した凄い学者がいる」と伝えたら驚いていた。それはさながら吉田松陰の著作をボスニア人が翻訳するようなものである。引き合わせる間も無く,闘病生活に入って行かれた。」 とある。 オシム監督と田中氏の語らいには,民族と民族との,いや人間と人間との架け橋たらんとした人同士の間には,どんな共鳴が起こり,どんな深淵な言葉が生まれてきたことだろう。是非田中氏自身の文章でそれを読んでみたかった。 もっとも,田中氏やオシムのような人を持つことができたことがすでに僥倖であって,そこから先は残されたものの課題であるのかもしれない。 オシムの快復を祈念しつつ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.03 00:00:37
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