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カテゴリ:たわごと
こんばんわ。 今日は、先日の研修旅行で行った、宮城県東松島市でのボランティアの日記です。 松島の綺麗な日の出。 観光名所として名高い松島の穏やかな朝でした。 しかし、ここから数キロ先には、震災後、8ケ月も経とうとしているのに、 ほとんど、人の手が入ってない地域がありました。
宮城県東松島市野蒜(のびる)、ここが今回のボランティアの場所です。 最初にボランティアの基地となっている、野蒜小学校へ。 ここでは、体育館に避難した子供達が、二十数名、津波によって命を落としたそうです。 まづは、この体育館で、子供達に黙祷をし、近くの共同墓地に。 行く途中、津波により全ての家は1階部分が流され、現在でも、ほとんど人は、 見かけませんでした。
共同墓地での作業は、倒壊した墓石を運び、砂に埋まった側溝掘り、ゴミを片付けなど。 大人十人がかりでも、重くてびくともしない大きな墓石。 それを倒して、数十メートルも違う場所に運んでしまう津波の恐さ。 改めて震災当時を思い出します。 それとともに、既に8ケ月も経っているのに、ほとんど手の入っていないことに、 びっくりしました。 墓地なので、手が回らないということもあると思いますが、 野蒜地区は、仙石線もまだ復旧しておらず、人が生活する環境に戻って無いのです。
我々のチーム、二十人ほどが掘った側溝は、30~40m程度でしたでしょうか。 この共同墓地は、そこそこ規模があり、周りも宅地で、まだまだ埋まっています。 今のペースでは、いつまでかかるのでしょうか? お金も必要です、人の手も必要です、まだまだ・・・
自分も若干の被害を受けましたが、時間とともに震災の記憶は薄れ、 今では、思い出話になりつつありました。 しかしながら、まだまだ被害の真ん中にいる人達が、大勢いることを考えなければ、 なりません。
ニュースで、東京都が宮古市の瓦礫処理を引き受けたことで、抗議の電話が多く 入っていることに石原都知事が、一喝したとありました。 石原さん、特に好きでも嫌いでもないけど、今回の発言には拍手します。 誰かが、どこかがやらねばならないのです。放射能の検査もきちんとやってるようですし、 その瓦礫を直接扱うわけでは無いのに、抗議するのは・・・ 時に石原さんは強引だけど、このようなリーダーシップは素晴らしい。
あと何年かかるかわからないけど、自分が出来ることを。風は吹いている。
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