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ヒデタカ・ダ・タカサキの日記

ヒデタカ・ダ・タカサキの日記

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2009.06.03
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カテゴリ:宇宙関連
 古代から16世紀まで、彗星は「天体」ではなく「大気圏内の現象」であると考えられてきました。
 17世紀に観測技術が発達して、「彗星は、地球と同じく太陽の周りを回っている天体である」ことが突き止められたのです。

 17世紀末、「万有引力」の法則で有名なアイザック・ニュートンに、「エドモント・ハレー」という弟子がいました。
 当時は、1680年と1682年に、相次いで大彗星が空を飾りました。
 エドモンド・ハレーは、これらの彗星の軌道を計算した結果、今までに気がつかれたことがない事実に気がついたのです。
 それは、「1682年の大彗星と、1607年の大彗星の軌道が、非常によく似ている」ということでした。
 さらに観測記録をさかのぼっていくと、1531年の大彗星も似た軌道を持っていることが判明したのです。
 
 ハレーは、この観測結果から「1682年の彗星は、76年ごとに太陽に近づいて明るく輝く天体である」と結論付けました。
 そして、「この彗星は、1758年に地球へ再び大接近する」と予想したのです。

 当時、「彗星は太陽系の天体だ」ということが判明していたものの、まだ「突然現れて、2度と戻ってこない」といわれていました。
 それだけに、「規則的に現れる彗星がある」ことは驚きをもって迎えられました。


 ハレー本人は、1742年に亡くなったので、再び彗星を見ることは出来ませんでした。
 しかし、1758年のクリスマスの日、ハレーが予測した彗星がドイツ人によって観測されたのです。
 木星の重力の影響で、回帰時期は1年ずれましたが、ハレーの予想は当たりました。
 人々は、軌道を計算したハレーの名前を取って、「ハレー彗星」という名前をつけたのです。
 
 その後の軌道計算により、ハレー彗星は古文書に何回も記載されていることが判明しました。
 現在では、秦の始皇帝の時代である「紀元前240年」の回帰が最古の記録だと考えられています。
 





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最終更新日  2009.06.03 20:14:34



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