|
カテゴリ:カテゴリ未分類
愛称、あだ名、ニックネーム、人を本名以外で親しみを込めて呼 ぶ名前の事である、子供の頃からの過去を振り返ってみると、名前 から来た愛称が一番多いようである、中学校の先生で、「おしめ」、 という愛称の先生がいたが、変わった苗字で、「志馬(しめ)」、 という本名からきた愛称である、オレは、「めがね」、(同じ学年 で最初に眼鏡をかけたから)、「おんなたらしの、○○ちゃん」、 「すけこましの○○ちゃん」、(硬派と軟派の分類上から行くと、 明らかにそっち系であったため)、ただ名前が○○で、○○ちゃん と呼びやすい名前であったために、圧倒的にそう呼ばれていた、学 生時代に親しかった者の殆んどがそう呼び、苗字で呼ぶ人は付き合 いが乏しかったか、仲が悪かったという人、首相で、「○○ちゃん」、 と愛称で呼んで欲しいといった事があったが、仲良くしている女の 子からは、愛称以外で呼ばれたいと思った事もあったのだが、オヤ ジの会社へ戻って、約10年間ほど一緒に仕事をしていたために、 取引先の何人かも、銀行の支店長も、飲み屋のオネーさんも、○○ ちゃんと呼んでいて、韓国バーのオネーちゃん連中は、不思議と、 「オッパーか苗字」、であった。 夏目漱石『坊っちゃん』は、「赤シヤツ」、「野だいこ」、「マ ドンナ」、「山嵐」、「うらなり」など、特徴を見事に捉えた、ユ ーモアーがあってほほえましい愛称が多く、 『源氏物語』の作中人 物の名前も、本名、実名でなく、「光源氏」、「藤壺」、「紫の上」、 などいずれも愛称で、実に優雅で、美しく、愛称で呼ばれている 、 中学生から高校生にかけての先生の愛称、家でも担任の事を愛称で話 すから、参観日に学校へ来たお袋は、受付で、「担任の先生は?」、 時かれて思わず、「Bちゃん!」、と言ってから、赤面するやら、汗 をかくやら、この先生は当時の人気漫才コンビの秋田Aすけ・Bすけ の猿に似たBすけにソックリだったからその愛称で呼んでいた、習字 の先生の、「おばあちゃん」、オレが中学校の時におばあちゃんであ った、驚いた事に、約20年後の同窓会の時も同じおばあちゃんであ った、保健体育の先生で、「ブス」、と呼ばれていた先生、後の同窓 会であった時には、驚いた事にブスから並のルックスになっていた、 国語の男の先生で、「男前」、という愛称の先生もいた、確かにいつ も髪の毛をきれいに分けて、役者顔の男前であった、体育の男の先生 で、「しじみ」、由来は分らずにそう呼んでいた、歴史の男の先生で、 「鉄兜」、戦争中に南方へ、鉄兜のセイで禿げ上がったため、同じく 歴史の男の先生で、授業は歴史の教科書ではこうなっているが、「実 はこうだった」、これが面白くて、歴史の裏話が記憶に残っている、 黒ブチの小さいまん丸眼鏡をかけていて、額のど真ん中に黒子があっ て、生徒を面白い話で笑わせながら、自信はいつも無表情、英語の男 の先生で、「アカ」、社会主義者で、ソ連がアメリカに先駆けて人工 衛星を打ち上げ、英語の授業を始める前に、「ソ連の人工衛星の打ち 上げの話」、話を始めるといつの間にか終業のベルが、オレが社会主 義に胡散臭さを感じたのはこの先生のセイともいる、数学の男の先生 で、「カバ」、この先生は見たまんま、職業の男の先生で、「予科練」、 予科練で特攻に出る寸前に終戦、この先生は暴力的で、怒るとそろば んで頭をぽかり、「教育委員会に訴えるぞォ~」、というと、「訴え るもんやったら、訴えてみィ~、俺はどうせ20年に予科練で命を落 としているところや、そんなモン何が怖いネン」、直ぐに啖呵を切っ て、ケツをまくる、「予科練」、というよりも、「予科練くずれ」、 と呼んでいた。 高校の国語の男の先生で、「ジョン・ブル」、という愛称、ほんの 少しほっぺたが垂れていたのでブルドッグ、人気のある、背の高い大 柄な先生だったので、「ジョン・ブル」、と呼ばれていた、科学の男 の先生で、「マンガ」、という愛称、この愛称の出自は定かでない、 理科の男の先生で、「じゃかじゃん」、ほっそりして、背の高い、そ の昔陸上競技をしていて足に自信、しかしそれは昔の話で、顎は上を 向き、足は前に進まない、そういう時に自分を鼓舞するために、走る ときには自分で、「じゃかじゃん、じゃかじゃん」、と声を出してい た、小学校の時に校内一足が速かった友達、よく市電の横で競争、「 ででんよォ~」、と呼ばれていた、また雄三という友達、長らく、「 ゆうちゃん」、と呼んでいたが、「太陽の季節」、「狂った果実」、 「嵐を呼ぶ男」、で石原裕次郎賀が大人気、暫くして彼のことを、「 ゆうさん」、と呼ぶようになった、オレも、「紅孔雀」、「笛吹き童 子」、一躍時代劇の人気者になった、萬屋錦之助、当時は中村錦之助、 愛称は、「きんちゃん」、発音は同じ、だからオレもその頃、愛称で 呼ばれると、周りの人が一斉に振り返るという事があった、遠山とい う友達がいて、彼は当然ながら、「きんさん」、であった、だからオ レは、「さん」、ではなく、「ちゃん」、のままだった。 ■「今日の言葉」■ 「 素直に聴く心がないと人は 本当のことを言ってくれない 」 (自然社・平成22年・新生活標語より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|