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『やあちゃんばあちゃんの石ころ人生』第2章 ~その15~
著:河上八千代
※ 前回からの続き
実は祐樹は、中学一年生の頃からラジオを聴くのが好きで・・・と言うより、ラジオで世界中のラジオ局の放送をキャッチして受信報告を送っていました。そうするとそのラジオ局からベリカードと言うのが送られてきて、そのカードを収集しては喜んでいました。そういうことが当時若者たちの間で流行っていたのです。ベリカードが送られてきた時は、それはそれは嬉しそうに私に見せたものです。そして自分の机の周りに貼って、悦に入っていました。
ある時、FEBCと言う放送局をキャッチしました。それは韓国のチェジュ送信所から送られてくるキリスト教の日本語放送でした。
「母ちゃん。今どき『神様がいる』なんてことを本気で言っているよ、この放送。バカバカしい、・・・変なの・・・」と言っていましたが、ベリカードが送られてきてからも続けてその放送を聴くようになりました。それこそ「変なの」・・・でした。
FEBCキリスト教放送。それが祐樹がキリスト教に触れたきっかけでした。中学一年生でした。放送が始まるのは夜の九時半だったので、その時間になると自分の机のところに行って聴いていました。
中学生ともなるといろいろ悩むこともあり、私に悩みごとを相談するようになりました。親子の会話がないと言われている時代に、家の子たちは私に悩みごとを言ってくれて、それはとても良いことだったんですが、なんといっても祐樹の相談は私の手に負えるものではありませんでした。
「ねえ、母ちゃん。人間は何のために生きるん?」とか、「ねえ、人間はどこから来て、どこに行くん?」とか、「死んだらどうなるの?」とか・・・。考えてみれば私自身が中学生の頃悩んだことだったんだけど、結局わからなくて、そのままうやむやにして大人になっていたことでした。その私自身がわからないことを聞いてくれるもんだから、「そんなこと考えんで、勉強しんさい(しなさい)」とか言ってしまいました。
でもなあ、「人間は何のために生きるん?」「僕みたいなのが生きていて何の役に立つんだろう」と言った時、私は私自身がその言葉に励まされて生きた、あの石ころのこと、あのイタリア映画「道」の中で、綱渡りの芸人が言ったあの言葉、自分の情けなさに打ちひしがれていたジェルソミーナが「石ころだって何かの役に立つから、そこにあるんだよ」と言われて、あの大きな目を見開いたあの言葉、あの言葉を祐樹に教えてやればよかった。ほんとにそうすれば良かった。・・・だからと言ってそれがどうにかなったかどうかはわからないけど、私の心に悔いが残ってしまった。
祐樹が、私の手に負えないことを聞くもんだから、彼が「教会に行きたい」と言った時は、「いいよ」と言いました。私のわからないことは教会に行けば何とかなるかもしれないと思ったのです。それで彼は、念願のキリスト教会に行くようになりました。中学三年生の秋でした。
※ 続く
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最終更新日
2020年02月26日 17時15分33秒
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