|
カテゴリ:うつ病の日常生活
今から書くことは、すごく個人的なことであり、かなりの長文になります。なので、読みたくない方は、読まないでくださいね(^^)
昨日、実母が朝から夜まで来てくれていました。 母は73歳、この年に見えないバリバリ働くキャリアウーマン(自営業の、笑)そして、孫12人に分け隔てなく愛情を注ぐ、おばあちゃんでもあります。 母が来てくれたのは、何となく皆さんも察しておられるとおり、私が姑のこと、主人のことをとても怒って、 「離婚して、私一人で働いて暮らす!(怒)」 と言っていたからです。私は、若いときから貧乏には慣れているし、本当は働くことが嫌いではありません。ただ、ちょっとオバサン年齢になっているので、物覚えが若いころよりずっと悪くなっているのと、あと、鬱病で調子が悪くなければなんとかやれると思うのです。大学時代も下宿する自分の生活全部を、毎月10万以上稼いで賄って来たのですから!貧乏に負けないのと、ここぞ!と言うときの根性にはちょっと自信があります。 なので、私が本気だしたら、何するかわからないと思っている母は心配して来てくれたのです。 母と一日いろんなことを喋りました。 母は子供の頃から、父母(私からしたら祖父母)を病気で亡くし、継母に育てられました。私にはなかなか想像がつきませんが、皆に親がいるなか、両親がいない子供・・・というのは、とても心が寂しく、辛い気持ちになるようです。 「おかあちゃんはとても辛い子供時代を暮らしてきたなぁ~~~」 と言うと、 「私には自分で頑張ってやっていかなあかん!という気持ちしかなかったから、道を一所懸命歩いてきた」 と言いました。 そして、働いて他人に笑われないように、爪に火をともすようにして、嫁入り道具を自分だけで用意したこと。 結婚して、小姑がいて姑がいて、いじめられたこと。 小姑がとついでも、姑とうまくやれなかったこと。 自分があまり可愛がられた記憶が無いから、たくさんの子供がいたけど、どう愛せばいいかわからなかったこと。 姉がぐれたとき困ったこと。 私が鬱病になっていたのに、病気ということがわからなかった。暴れたり叫んだりする私にほとほと手を焼いて、家に帰りたくなかったこと。その当時、一番下の妹は私のせいで二回家出をし、母は指を詰めたり、事故して車を大破させたりしていました。大変だったのに、私は自分がしんどくてたまらず、何が何かわかっていませんでした。 家族一人ひとりの、大変だったこと、悩んだこと、嬉しかったことなどを二人で話し、涙をながしたり、笑ったりしました。 きっと、昨日のあの時間は、私の生涯において、キラキラひかる尊い一日として記憶されることでしょう(涙) 私は、幼少時、きょうだいもおおく、家が破産しそうになっていたため、数年祖父母に預けられてすごしました。父母をいとおしく思って、父母、きょうだいのいる家に帰ったら、 「よその子は帰れ!こっちにくるな!」 と兄と姉にすごく言われ、心が凍ってしまいました。 それから、性格がひねくれてしまい、家族となじめない寂しい寂しい子供時代、若い時代をすごしました。 その家族との葛藤を乗り越えるのに、26歳ぐらいまでかかりました。そして、中学時代から「20歳になったら自殺する。それまでは、周りの皆が、『とだいちゃんはきれいで勉強できて性格がよくて、悪いところが一つも無い!すごいな!』って言ってもらえるような人間になるように、炭になるまで命を燃えつくして努力する!」 って心に誓い、その誓いを紙に書いて、こっそり見ては、毎日毎日努力し、精進を続けました。 そして、大学時代は良く働かなくてはいけなくて大変だったけれども、彼氏もいて結構もてて、友達もいっぱいいて、皆から「お嬢さまのようやから、とだいは『お嬢』って呼ぼう」って言われて、そういうあだ名でした。 あんまりふわふわ浮ついた、楽しい日々だったので、死ぬのを22歳まで伸ばしました。 そして、第一希望の就職先に就職したら、400人ぐらいいる新入社員のなかで、最高顧問の秘書という、前途有望だと言われる5人の中に数えられるようになりました。 母やきょうだいは私の出世???抜擢???に狂喜乱舞し、 「とだいねえちゃんは、うちの家の誇りや!」 と言われました。 だけど、私は、希望が何もかもかなってしまった毎日が、むなしくてむなしくて、3ヶ月で仕事にいけなくなりました。 そのとき思っていました。 「私は人生をやり終えた。でも、一つだけ心残りがある。家族と心を通わせられなかったことや。両親に愛されたという実感がもてないことや」 と思って、引きこもりになり、何週間も何も食べなかったり、かぞくと接触するときには、ひどく暴れて、怒鳴って、家庭内暴力のひどいのをして、とうとう鬱病になってしまいました。 ながながと私の身の上話を聞いてくださってありがとうございます。 何がいいたいということはないのです(笑) ただ、人生いっぱいいろんなことがありました。 姑のことを嫌いと思うことはあるけれど、姑のことをリスペクトしている大きな美点があります。姑はすごいのです。息子を愛する気持ちがものすごく強いのです。そのためには何でもする人です。 私は結婚して、姑の息子に対する愛情の深さを、 「主人は本当に大事にされてていいな」 と思いました。 そして、それだけ愛深く子供を愛せる姑をすごいと思っています。 今日、主人と私の14回目の結婚記念日です。そして、舅姑の54回目の結婚記念日でもあります。 主人は私に心底同情し、愛し、今まで本当に大事にしてきてくれました。私は、先日実母に 「あんたは息子を大事にしてない!」 と言われたことを、頷かざるを得ないと思います。 私は、知らず知らずの間に、娘が一番になっていたのです。 主人が中年になり、脂ぎったおじさんになってきていること、仕事がとても忙しくて余裕がないこと、たま~~~に気に触ることがあると、物凄く怒ること。加齢臭がしてきたこと、姑にいつまでも甘えること・・・などが、鬱陶しいと思うことが時々ありました。それで、主人を一番大事にしてあげることが出来なかったように思います。 主人に申し訳なかったと思います。そして、こんな素晴らしい主人を産んで育ててくれた、姑に感謝します。 私は気分やで、心のふり幅が大きくて、姑のことをすごく怒ったり、実母に不満をぶつけて怒鳴ったり、することがあります。 けれども、正気のときは、主人が一番大事だと思うし、姑のことも尊敬しています。 きれいごとを書いたかもしれません。優等生過ぎることを書いたかもしれません。 長々と読んで下さり、ありがとうございました(-人-) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[うつ病の日常生活] カテゴリの最新記事
|