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2012.07.14
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カテゴリ:うつ病の日常生活
今日も蒸し暑い大阪です。


まずはじめに、私は病歴21年の鬱病患者で、まだ定期的に通院し、毎日15種類もの薬を飲んですごしています。





ここからは、身の上話なので、読みたくない方は読まないでください(長文です)。私の身の上話を知っている人も、重複するので読まないでいただいて結構です。






***************************************

鬱病になったきっかけは、過去記事で何度も書いたから、ほんとにはしょって話します。
小学生のころから、人生が面白くなかった、死にたかったです。里子に出されていたのもあり、家庭では一人ぼっち、学校は高学年の思春期に入ると、性格がいがんで周りの人から嫌われました。それで、中二の時には、村八分にされ、担任の先生にも、
「きみは性格を直さないとだめだ!なんで皆と仲良くできないんや?」
と注意を受けていました。
で、家庭も地獄、学校も地獄、部活も地獄の一人ぼっちだったので、本当に死にたいと思っていました。
リスカして死にかけたこともあり、あと一酸化炭素中毒で死のうと思ったこともありました。ただ、死にたいと思うほど、「死ぬのが怖い」となって、東尋坊や高いところから落ちることは出来ませんでした。

なので、中二のとき、決意しました。
「私は20で自殺する。その頃には、『綺麗で、勉強が出来て、友達もいっぱいいて、性格も良くて、とだいちゃんは非の打ち所がない。なんであんな子が死んだんだろう?』といわれるようになってから死のう!」
と決意しました。
なので、まず、友達を作ることになりました。
「中学生のアドバイス」という本があったので、それでイジメを克服した話を読んで実践しました。どういうスキルで村八分から抜け出したか書くと、長い話になるので、はしょります。
ということで、皆と友達になり、友達の間では人気者になりました。

高校へ入って、勉強が出来るようにならねば!と思い、中学一年生からの勉強をやり直しました。夏休みはずっと、中学校の復習をしていました。そうしたら、成績が上がってきました。
高2の時には、好きな人ができて、少しでもふりむかせたい!と、美しさの研究をしてきました。これも話すと長くなるので、はしょります。
というわけで、高校を卒業するときには、友達もたくさんいて、勉強がある程度できて、結構美人といわれる私が出来上がりました。

大学へ行くと、サークルに入りました。そこでのニックネームは「お嬢」でした。美空ひばりに似てたからではなく、当時流行った「お嬢様ブーム」にのっかって、
「とだいはお嬢様みたいやから、お嬢や!」
ということになりました。
大学へ行くのに、毎月10万以上アルバイトで稼いでいました。きょうだいが多かったので、仕送りを2万円ぐらいしかしてもらえなかったからです。なので、学校行って、サークル行って、アルバイト行って、夜は友達と遊んで・・・という生活をしていました。
今から考えるとすごいバイタリティ溢れていたのです。

大学を卒業して就職しました。就職先は400人の新卒を採っていて、私よりいい大学を出てる人もいっぱいいました。
その中で、私は、最高顧問の秘書という役目をいただいて、熱海の豪邸で最高顧問と一緒に暮らすことになりました。家族には「うちの家の誇りや!出世頭や!」と言われました。
このへんもはしょって。
仕事に対して意欲が持てず、人間不信にもなり、あと、どうしてもやる気が出せませんでした。静岡にいる私でしたが、実家の京都に帰りたくて仕方がなくて、毎週京都へ帰っていました。そして、とうとう静岡に帰りたくなくなり、あと、人生を終わらしてしまいたくなっていました(中学校のときの計画通りに)。そして、会社をやめ、実家へ帰ってきました。

帰ってきてからは、二週間とか一ヶ月とか部屋にずっとこもりきりで、ご飯も食べない、人にも会わない、お風呂にも入らない、なんにもしない状態でした。何にも出来ないやる気がないする力が湧かない状態だったのです。そういう状態が4年ほど続きました。
ここもはしょって。

その後、勉強をやり直して、実家から通える公務員生活を送りました。そこでは、最初はとても人気があったのですが、鬱病なのが認知されていない時代だったので、そのうち村八分にされるようになり、ほとんど誰も口を利いてくれなくなりました。

そんな中、主人と出会い、寿退社ということになり、結婚しました。
けれど、本当は、当時も自殺未遂を繰り返し、やめるときも病院に担ぎ込まれて、胃洗浄されて、仕事へいけなくなったのでやめたのでした。

結婚しても自殺未遂を繰り返していましたが、あるとき、自殺未遂をやめ、薬もやめて半年経ちました。そのとき
「子供が欲しい」
と思って、出来たのが、今いる娘です。
娘は母乳で育ち、1年2ヶ月で鬱病が押さえられなくなり、薬も飲まないとやっていけなくなって、とうとう断乳しました。

それから娘と私と主人の、命の放浪が始まりました。
娘は「生きたい生きたい」って成長します。
私は「早く死にたい。死んだ方が今よりマシだ!」
と思っています。
娘と主人が、私が死に掛けるときいつも、手を差し伸べて、助けてくれました。
ここからもだいぶはしょります。




**************************************

というわけで、ここ3年ほど、鬱病が楽になって来ました。
自殺未遂も3年前からしていません。
たまに「死にたいな」と思うけど、
「あかんあかん、子供と主人がいるから、死ぬわけにはいかん!」
と思って、すごせるようになりました。
そして、子供が可愛くて仕方がなくなりました。
小さいときは手がかかるから、折檻したり、怒鳴ったりばかりしていたのに。
小学校高学年になってから、可愛くて仕方なくて。
その頃から、子供の性格も安定して来ました。
何もできないことの多い母親ですが(私のこと)、
「それでもいいからいて欲しい」
といつも言ってくれる、娘と主人に感謝です。

私は、春秋と季節の変わり目に良く自殺をしていたそうです。今でも、そのときはとっても調子が悪くて、しんどくなります。
そして、今のような気候が不安定な湿度が高く苦しい時期もしんどいです。

だけど、「したくなかったらしなくてもいいよ」
といつも言ってくれる、主人と子供に、私は助けてもらってばかりです。
しんどいときは、お弁当作って、主人と子供を送り出して、それからずっと寝たり、ネットしたりしています。
晩御飯は作れたり作れなかったり。

そんな頑張れない自分ですが、最近はだんだんと自分を許せるようになってきたような気がします。
年も取ってきて、おばちゃん体型になってきて、顔も体も少しずつたるんできた感じがします。
昔は、スレンダーじゃなくて、スキニーといわれるほど痩せてたのに。
今日、昨日より1.5kg太っていました。
最近調子よくて、3kgほど痩せたところだったのに。
かなり朝は凹みましたが、結構すぐに立ち直ることが出来ました。

自分を少しずつ愛することが出来てきたような気がします。
ほんとに、非生産的でたいしてなにもできないのに、偉そうに専業主婦なんて言っている私ですが、生きていることを喜んでくれる人がいる限り、寿命まで生きようと思います。

長い文を読んで下さりありがとうございました。








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最終更新日  2012.07.14 12:10:39
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