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育てているのは未来です

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2024.05.18
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カテゴリ:未分類
  
 大きい子たちは淡路が峠付近に散歩に出かけたくさん歩きました。しっかり水分
補給も取り園庭で遊んでいます。

  

  

  

  

  
 小さい子たちもおままごとを楽しんでいます。ダンゴムシを見つけて小さい手で
頑張ってつかもうとする姿がかわいいです。

  

  




* 今は昔の物語
定時制高校での出来事(1971年頃)

 あゆみ学園に就職した後、福祉の業界で仕事をするためには、せめて高卒の資格は
必要だと感じて松山南高校の定時制(夜間)に入学しました。南校は末広町商店街の
広い通りに面している部分が狭いので、知らない人なら通りすぎてしまいそうなとこ
ろに正門があります。教師の中には20代の人もいましたから、詰め襟の学生服を着
ていなかったらどっちが教員かわかりません。
 当時の定時制は一学年に3クラスあり、家庭の経済的な理由で地元の高校へ進学が
出来なかった人がほとんどで、みんな向学心や向上心の強い生徒ばかりでした。昼間
はいろいろな場所で働き、全日制の生徒と入れ替わるようにして夕方登校します。

 生徒の郷里は中南予の寒村が多く、今でこそ自家用車で簡単に行き来できますが、
交通の便の悪いところが多かったように思います。勤め先では、テイジン、井関農機、
関印刷などに務める人が多かったです。その時代の女性には、准看護婦(師)という
制度があり、中学卒業後に開業医のところに住み込んで、昼間は看護師の補助をし、
夜間に2年間准看学校に通って資格を取得。17歳で高校に入り、卒業後は看護学校
に入学して正式な看護師資格を取得するという、モチベーションの高い人もたくさん
いました。今の時代には考えられないくらいみんな努力家で、少ない給料の中から郷
里に仕送りをしている人もいるくらいでした。

 原則バイク通学はダメだったので、近くに仕事帰りのバイクを置いて学校に入ろうと
したある日の夕方、学校の前で小さな子どもを胸に抱きかかえた女性が、子どもと一緒
に軽自動車に跳ねられる瞬間に出会いました。女性は道路を渡ったところにある銭湯に
行くところで、風呂道具と抱きかかえた子どもが死角になって走ってくる車が見えなか
ったようです。目の前を、風呂道具と大小ふたつの物体が空中を跳んでいく様子にびっ
くりしました。お母さんは数メートル、子どもは5メートルくらい跳ね飛ばされたと思
います。

 とっさに子どもの方にかけ寄ると、冬場で厚着をしていたこともあったのか、びっく
りして泣き叫んではいましたが大きな怪我はないようでした。子どもを抱き上げたとこ
ろに近くの和菓子屋からご主人と思われる人がかけ寄ってきたので子どもを託し、お母
さんの方に行ってみるとこちらは頭部から出血し気を失っているように見えました。
 軽自動車の前のウインドは割れていて、運転していた女性は車の中で呆然としていま
す。通りにいた人たちも気がついてすぐにかけ寄りました。頭から出血しているので動
かして良いものかどうか迷いましたが、車道にそのままというわけにもいかないので、
4人ほどでそっと抱え上げ歩道まで移動して救急車を待ちました。
 しばらくして救急車が到着。お母さんと子ども、ご主人が乗り込んで出発したので、
私はいつもどおり学校へ。教室に入った後、同級生に手についた血を教えられ、水道水
で洗い流しながら、あらためて交通事故の怖さをひしひしと感じました。

 それから半年くらいたった頃、お土産のお菓子を買う用があってその店に行きました。
店には事故の時に見たお母さんの元気な姿があったので、「事故の頭の怪我は大丈夫で
したか?私はあの時、たまたまとおりあわせたんですよ」と話すと、「お世話になりま
した。おかげさまで子どもも私も、特に大きな怪我にもならずにすみました。」という
返事が返ってきて、なんだかホッとしたのを思い出します。





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最終更新日  2024.05.18 16:33:11
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