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今日は1月3日、母の命日である。 母は現在のぼくと同じ歳に亡くなった。だからこの命日は格別な意味がある命日であると勝手に判断して、一人で墓参に出かけようとした。妹たちは甥っ子と共に、元日にすでに墓参りをすませている。だから、命日の3日には、ぼく一人で行くことにしていたが、妹の一人が電話をかけてきて、車でつれてってあげる、と言う。妹は今年に入って2度目の墓参りになる。 車で小一時間の距離の東京の山にお墓はある。ぼくの両親とぼくの弟二人が合計4人がそこに眠っている。元旦に妹たちが掃除や花飾りをしてあるので、花を活け替えるだけでやることがなかった。小さな墓の前にしゃがんで合掌したら、自然にいままでに思ったことがない思いがこみ上げてきた。 ―次はぼくが入るから 楽しみにしていてくれ しかしあと2年待っていてくれ 歳の順ではぼくになる。そういう意味である。これは単純な計算問題なのであるけど、かつて次はおれだとは思い至らなかった。うかつな男である。そう思って墓の石をみると急に親しく思えてくる。 母の歳を追い越して生きられることがほぼ確実なので(今現在死ぬ気がしていない)、やっと義理が果たせたと思った。死の告知を受けてから、「5カ年計画」で生きてきた(当時医者があと5年もてばと言ったから)。今年は第4次「5カ年計画」の3年目である。だから、あと2年、2011年まで生きたい、そう両親に祈った。しかし、祈ってから、父が100歳を迎えるのは2014年であるから、父生誕100年を祝ってやりたいと思うと、2014年まで生きなければならない勘定になる。今年から数えて「5カ年計画」で生きていこう・・・そう今日の祈りの後で決心を変更した。 今日、妹と食事をしながら、あと5年生きることに執着したい、だからと言って人生を小さく安全にまとめるつもりはない、と妹に言ったら、妹は賛成してくれた。妹はぼくの生き方を正確に見抜いてくれていた。賛成の理由は 「兄貴が生きながらえているのは、前向きの積極的生きき方を選んでいるからで、それが免疫を活性化させているからだ」と。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.01.04 09:24:22
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