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★今年の締めくくりとして、どうしてもおすすめしておきたいイベントはコチラ★ ↓ http://www.mite.tv/poker/ ★★いよいよ最終日です!★★ ********************** PR********************** 『滝口:たぶん、先生が患者さんに「自分らしく歩いていくのでいいんだよ」っておっしゃっている感じと、重なりますね。 神田橋:同じものですね。そうでなかったらね、必ず貧しくなりますよ。自分の中で、自分の資質と喧嘩するようになるよ。せっかく自由を求めてできた心という機能が、洗脳によって不自由になる。それを称して何というかというと、「学習」というの。 滝口:(笑) 神田橋:学習というのはね、心の野放図な自由さを封じ込めているわけ。そうしなかったら、心というものは、手綱がなくてどこへ行くかわからないから、だから、学習とか、しつけとか、そういうことが必要になってくる。 さらに、脱学習ということを覚えれば、それを覚えることができた状態をフレキシビリティというの。だから、学習がないのがフレキシビリティではないんだよね。学習を身につけて、さらに、脱学習という対抗学習を学習していることが、フレキシビリティだろうね。』 (不確かさの中を 私の心理療法を求めて 神田橋條治 滝口俊子著より引用) 先日もご紹介した上記著作は、精神療法家お二人の対談集です。 本一冊、ずっと対談をしておられるのですが、かなり深い内容をお話されてます。 わかる人にはわかるけど、わからない人には全くわからない、だろうなと思います。(当たり前ですよね。笑) 考えてみれば、最近のゆとり教育っていうのは、基本的な学習そのものを減らしているだけのようにも思いますね。 でも神田橋氏が言われているように、学習がない状態がフレキシビリティではない、というのはホント納得です。 私も最近でこそ、知識や技術偏重のことを言ってますが、その前にはやっぱり色々な知識や技術を学んでるんですよね。 よく言われる、守破離という考え方とも同じでしょう。 沢山の知識や技術を身につけている方から話を聞くときに、最近よく、どうも共感できないな、と思うことがあるのはどうやらこのあたりだったのかもしれません。 技術、テクニックの段階で止まっていて、いわゆる「道」の領域までの深みがない、といういい方もできますね。 要するによく話題にしている、ポーカーでいうと「ポーカー術」と「ポーカー道」のようなちがいですね。 でも、この術も、脱学習という過程を経れば、正常深化するのは間違いなさそうですね。 そこに形、形式から、ぐっと腹に落ちた本質へという流れがきっとあるのでしょう。 今日はちょっとお話が難しくなりました。 ご訪問どうもありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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