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テーマ:人生をバージョンアップ(86)
カテゴリ:覚書メモ
世の中は、いろいろな
メソッド、手法と呼ばれるものに満ち溢れていますよね! とりわけ、昨今では 心理学とか、認知科学、脳科学などなどを土台とした より良くコミュニケーションするためのメソッドなんかが 多く見られるように思います。 私たちは、より良く生きるため、あるいは、 今と違った生き方を得るため、 などなどを目指して、そのようなメソッドの類を 勉強したりします。 まぁ、最近では珍しくもなんともないこと、 ですね。 で、そのメソッドを勉強して、習熟すると そのメソッドがいうような凄い効果なり、能力が 付くかというと、 まぁ、これもなかなかそうはいかないことは はい、私もたくさん経験済みです(笑)。 もちろん、目的に応じて それなりにうまくいって身に付くものが ないわけではないですが、 多くのメソッドは、本当にそんなにすごい効果があるの? って当初期待した何分の一しか結果が得られない感じがする、 という経験を多くの人にさせてくれますよね(笑)。 なぜこのようなギャップ が起こるのか? あなたはどう思います? 1.メソッドそのものに力がないのか… 2.自分の取り組み方に問題があるのか・・・? 単純に大きく分けると この2点が考えられます。 1.の可能性は意外と高いのかもしれません。 というのも、主として頭で考えられた理論が、 周りの人々との関係性の中では知に偏りすぎて 私たちの身に付いていかない、 ということがあると思うんです。 一言で言ってしまえば、 「理屈っぽ過ぎ」ってやつですね。 もちろん、世の中には本当に優れた、本質に向かう メソッドもたくさんあるとは思うのですが…、 現実問題としては、 それを扱う人間、あるいは人間関係という場の中で うまく消化しきれないというのが実態のようです。 そこで2です。 問題は自分にあるのではないか? そのメソッドを扱えない原因の一つは 自分 ではないか!っていうことです。 最近私自身が感じ、痛感しているのは この観点なのです。 ところで、 話は一見、少し飛びますが、 人間の情報処理能力に目を向けてみましょう! 私たちは目、鼻、耳や皮膚などの感覚器官から得る情報量は 毎秒1100万ビット。 その情報を意識が処理できる量は毎秒わずかに40ビット という実験結果があるんです。 参考文献はコチラです。 ↓ ↓ ↓ ユーザーイリュージョン これはつまり、 五感を中心とした感覚器官が捉えているだろう情報は、 意識できる情報量のおよそ27万5000倍もある! というお話になるんですよね。 とてつもなく 大きな情報処理力の差が、 私たちの感覚と意識の間にある、 というわけなんですね。 さて、 私たちは通常、何かを意識してその後行動に移る、 と普通は考えます。 ところが、意に反して、 【脳は行動を実行し始めてから0.5秒後に その行動の意図を意識する】 このような実験検証結果があるんです。 ということは、 例えば、指を曲げるような動作をする際、 指が先に動き出して、意識はその一瞬後 つまりゼロコンマ5秒後に、その動かした指の 意図を知る、ということになります。 にも関わらず、意識は自ら身体に行動するように指示した! という錯覚・誤解をしている、というお話なんですね。 これは、 例えば、ブーンとうなりを上げて急に近くに来た 蜂を避ける時、なんていうのをイメージすると わかりやすいかもしれません。 (自らの)意識は、ここにこのままの姿勢でいたら危険! と、カラダを動かした、 と思っていますが、 実は、カラダはそういう意識する以前に、 蜂の気配や羽音などなどの感覚情報をもとに 勝手に動いて、 その一瞬あとに、 【あ、カラダが蜂を避けたんだ!】 っていう端的な事実だけに気づくはず、なんです。 ところが、意識のほうは その後、この距離・角度では避けがたかったから、 こういう距離をとりながら、約○メートル避けたんだ! とばかりに、いろいろ勝手に解釈したり、判断したがります。 あ、これはちょっとわかりにくいかな・・・!? では、野球のバッティングではどうだ・・・? ピッチャーが投げてきたボールに対して、 カラダは視覚をベースとした 感覚器官を最大限に駆使して、 バットを振りますよね。 そしてその0.5秒後に意識は、 【あ、空振りだ!】 【振り遅れた】 【バットの角度が悪かった…!】 なんて判断を勝手に下すんですね。 が、が、が、・・・ 実はこの意識できる情報量は感覚情報の わずか27万5千分の1 ですから、 空振りは事実だとしても、 この【バットの角度云々…】なんて意識している部分は まったくの見当違いの可能性が大あり、 っていうことにもなるんです。 なにしろ、情報処理できる量が (意識は)極端に小さいわけですから・・・。 つまり、 五感を中心とした感覚器官が捉えている情報を、 できうる限り素直に受け取って行動すれば 非常に精度の高い行動になるのに、 ワンテンポ遅れて起こる情報処理能力の低い 意識というものの介在によって、 ねつ造された、あるいは見当違いの判断を 下される可能性高し、ということになりますよね。 それで話は戻りますが、 そう、先人が考え出した素晴らしいメソッドや手法を 私たちがうまく扱えない、あるいは扱いきれない原因の一つは この意識のねつ造によるものが多いのでは、 ってインスパイア大澤は思うわけなんです。 逆に言うとすれば、 感覚器官が捉えた情報をできうる限り そのまま 受け取り、 それをもとに行動できれば、 先人が残した素晴らしい遺産を より受け取りやすくなる メソッドや手法そのものに本当に力があれば、 たくさん受け取れる可能性が大いに上がるのでは、 と思うのです。 反対に情報処理能力の低い頭で捏造した意識では、 受け取れるものも受け取れない。 今、私はあまり意識しては書いていないつもりなのですが(笑) それはさておき、 【頭で意識的に考えるよりも、体感を大切にしていきたい】、 という私自身の思いや実際の行動は、 どうやら上記のようなことからきている様なんですね。 あーっと…、 とても長くなってしまいました。 意識は自分の都合の良いように、 あるいは自分の意識できる小さな範疇で考えますので、 もっともっと(情報処理量が圧倒的に多い)体感・カラダ感覚 を大切にしていけば、 先人の残した遺産をたくさん受け取れるのでは…!? なんていうお話をしてみました。 私たちがたくさんの遺産を受け取り、 次の世代へも繋いでいけることを心より祈りつつ…♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.05.16 11:57:27
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