カテゴリ:性教育/性球儀
『ラブレター』 (80年代中国女流文学選) 王 浙浜(著)現代中国文学翻訳研究会(翻訳)(1987/11)をぱらぱらめくっていて、偶然発見しましたよ^^
マルクス=エンゲルス全集 第29巻 書簡集 1856~1859 より、一八五六年六月二十一日、マルクスが夫人のイエンナに送った手紙の抜粋文 愛する人よ 僕はまた君に手紙を書いた。ひとりぼっちで、淋しくてやりきれないから、僕はいつも心の中で君と言葉を交わしている。だが君はまったく知らない。君は聞こえないし返事もできない。君の写真ははっきり写っていないけれど、僕にはとても役に立っている。・・・ 僕の愛はこのようなものだ。僕たちが空間によって隔てられるや、たちまちはっきりわかるのだが、僕の愛における時間というものは、植物にとっての日光や雨露と同じで、成長に役立つものだ。 君に対する愛は、君が僕のそばから離れると、その本来の姿がはっきりしてくる。愛に僕たちの全精力と感情が集中した、巨人のような姿だ。僕は自分が本当の人間だと思った。なぜなら、僕は強烈な情熱を感じるからだ。・・・ しかし愛とは、フォイエルバッハ流の人間に対する愛でも、モーレスコット流の新陳代謝に対する愛でも、プロレタリアートに対する愛でもなく、いとしい人、つまり君に対する愛であり、一人の人間を本当の意味で人間たらしめるものだ。 でもどこへいけばその顔を探しあてられるのだろう。一本のしわでさえ、僕のいちばん強烈で美しい思い出を起こさせるようなその顔を。僕の限りない悲しみ、取り返すすべのない損失でさえも、 君のかわいい顔の中に見ることができるし、愛する君の顔に口づけしたとき、その悲しみを抑えることができるのだ・・・ 倦怠期のない愛を実践した牽牛マルクスと織女イエンナの意志力にさしずめ乾杯〈完敗〉ですね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 7, 2009 10:33:12 AM
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