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足湯でよもやま話(笑)

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『昆布茶と塩麹』

『昆布茶と塩麹』

2019.07.06
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​​皆様こんにちは。

6月30日は大祓(一般には「茅輪くぐり」)の日でした。
12月31日は新しい歳神さまを迎えるためもかねての大祓ですが、
6月30日の大祓は、私たちが日々の生活の中で知らない間に蓄積していく穢れを祓うという神事の日です。

茅輪くぐりの元々が素戔嗚尊(スサノオノミコト)の「ソミンショウライ」にあることは、以前からこのブログでも紹介しましたが、
(2018.6.30、2019.6.30の日記参照)

大祓の元となった神話は実はそれよりも古く、国生みの神、イザナキノミコトとイザナミノミコトの話にさかのぼります。(名前が長いので 以下、分かりやすく「伊邪那岐」「イザナミ」と記述します)

まず大祓の元となった話をご紹介しますね。

この動画がわかりやすいでしょうか・・・↓

​​​​​​​​​​​​​​​


※動画では逃げる伊邪那岐に対して、イザナミは「悪魔」を放つ。
とありますが、「黄泉の国の軍勢」のことです。まぁ、アンデッド(ゾンビ)のようなものと理解されればよろしいかと(^-^;)

動画にもあるように、伊邪那岐がイザナミと決別し、黄泉の国に通じる道を岩で塞いだ後、黄泉の国の穢れを祓うために行った禊が「大祓」の起源です。
そして、動画にもあるように、その禊で生まれた3柱の神様が
「天照大御神(日の神)」
「月読命(ツクヨミノミコト)(月(夜)の神)」
「素戔嗚尊(スサノオノミコト)(黄泉の神)」です。


ですから、もともと宮中祭祀の大祓では親王や男性の職員が参加をされていたようです。

皇居の中には天皇陛下や皇族方が祭祀をする宮中三殿があります。
(宮内庁HPより)















現在の宮中祭祀についても宮内庁HPに記載があります。ご覧ください。
◆​主要祭儀一覧


下矢印​(宮内庁のHPにある、掌典職の説明)下矢印
 国家行政機関たる宮内庁の組織とは別の内廷の組織で,
皇室の祭祀のことをつかさどっています。

掌典長の統括の下に掌典次長・掌典・内掌典などが置かれています。


(宮内庁の掌典職については上記以上の記述がなかったため、Wikiより抜粋↓)




下矢印神様にお仕えする内掌典の方の動画もあります下矢印



文春で興味深い記事を見つけました!(↓画像クリックでソースにリンクします)
​​
(ざっくりと一部抜粋)
祭祀を司る「掌典職」は宮内庁の組織ではない​

 私が掌典職(しょうてんしょく)の職員としてお仕えしたのは昭和48年から平成13年までのことです。28年間務めたことになりますね。もともと神社の家に生まれ、ご縁があって京都御所に出仕していたところを、たまたま引っ張られた(笑)。
 ​掌典職というのは、宮内庁の組織ではないんです。祭祀を司る部署として、内廷(天皇の私的機関)に属している。掌典長、掌典次長、掌典までが管理職で、役所でいえば課長以上。そして私たち掌典補、女性の内掌典が祭祀の実務を担当します。私がいた頃は全員で23人いました。​

 日常の業務としては、当直の場合には朝5時45分に起きて、御殿(神殿)を開けてお掃除をします。それから神様のご飯をこしらえてお供えすると、8時30分には当直の侍従さんが毎朝御代拝にみえます。その後、片付けをして、あとは役所的な管理の仕事に戻る。そして夕方になると、御殿を閉めて、神様にお休みいただいたら、私たちも寝る、という日々でした。さらに年間60回ほどのお祭りがあり、前の日の準備も合わせると、1年のうち3分の1は何らかのお祭りに関わっています。土日も関係なく、一般の公務員と比べると休日は3分の1くらい。外から見る以上にハードな仕事だと思います。私なんかは神社の倅(せがれ)ですから慣れていますが、別の部署から異動してきた人たちはよく体を壊していました(笑)。

 28年間の務めのなかで忘れられない体験といえば、やはり昭和天皇の御大喪、そして今上陛下の御大礼ということになります。
 大正天皇が崩御されたのが西暦で言うと1926年。すでに60年近くも前のことでしたから、当然、当時の儀式を知る人はほとんどいない。しかも今回の御代替わりは、敗戦後、新憲法下では初めてのこととなります。

​大喪記録を一人で筆写​

 私が1人で研究を始めたのは昭和57年頃でした。戦後の皇族葬儀ということで、最初に取り組んだのは、昭和26年に崩御になった貞明皇后の大喪の記録でした。タイプ印刷された、厚さ2~3センチの冊子数十冊にまとめられたものが掌典職にありましたので、儀式に関わる部分を原稿用紙に要約して書き出していく。当時はパソコンもワープロもない時代ですから、全部手書きです。

これはまだ個人的な勉強ですから、業務時間にはできない。また、当時は「陛下がお元気なうちに、葬儀のことなどやるものではない」という先輩もおられましたので、職場でやることもできず、家に持ち帰って作業をしていました。
 
​ この貞明皇后の記録を読むと、当時はまだ占領下でしたから、葬儀の形式について、神道式でやるか無宗教でやるか、政府内に議論があったんですね。そこでマッカーサーの後任のリッジウェイ最高司令官にお伺いを立てているんです。すると、リッジウェイの答えは、何故そんなことをいちいち聞くのか、​亡くなった人の宗教でやればいいじゃないか​いうものだった。それで基本的には神道形式でやれるということが分かりました。​

​この世に2部しか存在しない大正天皇の大喪記録​
 貞明皇后の記録を整理し終えると、次はいよいよ大正天皇の大喪記録です。和綴じの冊子100冊以上にもなる、墨で書かれた大部の記録でした。
 
​ 実はこの大喪記録は、この世に2部しか存在しません。1部は宮内庁、1部は内閣に置かれている。当時、私のような下っ端では借りることもできない。そこで掌典職の祭事課長をされていた前田利信さんにお願いしたら、「勉強するなら借りてあげよう」というので、ようやく目にすることが出来たのです。この前田さんは旧華族で富山のお殿様でした。​
 
 これはさすがに家に持ち帰れませんから、上司のいないときや当直のときに、儀式の手順や必要なものを書き写す。しかもただ写すだけではなくて、ちゃんと後で利用できるように、内容を理解しないといけないから、ものすごく時間がかかるんです。そして翌58年からは、國學院大學の先生や神社本庁の人たちと月1回「即位・大喪の勉強会」を開きました。このとき役に立ったのは、​神保町の古書店でたまたま見つけた葬儀の際の写真帳でした。​
 
​儀式の「気持ち」と「形」​
 準備作業が公式に始まったのは、昭和62年の秋だったと記憶しています。
 大正天皇のときと一番違ったのは、当時は、「大喪使」という専従の組織が作られていたんです。即位の大礼でも「大礼使」ができる。ところが、今回はそれができなかった。というよりも、政府にしろ宮内庁にしろ、別組織を作るということ自体考えていなかったと思います。
 だから宮内庁や掌典職などが通常の業務をこなしつつ、大喪、大礼を準備し執り行うという体制になってしまったのですが、これが間違いでした。とても片手間にできるような仕事ではありません。儀式、装束、作法、設営の監督、数千に及ぶ物品調達、それからその全ての予算案を作成しなければならない。それだけ大規模なプロジェクトなのです。
 たとえば葬儀を担当するのは祭官といいますが、祭官長1人、祭官副長2人の下に、祭官と祭官補がそれぞれ18人で担当します。これは大正天皇の前例にのっとったものなのですが、何故それだけの人数が必要なのか説明しなくてはならない。予算に関わってきますからね。しかし、これには合理的な理由があるんです。葬儀の際、祭官は昭和天皇に24時間祗候しなければなりませんが、当然、交代制でやるしかない。3交代制として、6人でひとつの組を作るのです。祭官と祭官補は必ずセットですから、あわせて36人。これ以上減らしたら、とても身体がもちません。
 こうして祭官の人数が決まると、装束の数、足袋の数などをひとつひとつ決めていくわけです。

​​大喪の礼で大きな問題となったのは、装束を着るかどうかでした。ある宮内庁の幹部が大反対したのです。大喪の儀は世界中に衛星中継される、そこに時代錯誤の装束姿が映ったら、日本の恥さらしだと。これは大変なことになった、と思いましたね。大喪の礼が洋装ならば、即位も装束ではできない。古式にのっとった儀式が行えなくなってしまう。​​
 結局、各方面で協議を重ねた結果、装束で行うことになったのですが、終わってみると、その反対していた幹部が
「海外からも非常に評判が良かった。さすがは日本の長い伝統だ」と言う(笑)。役人というものはすごいなと思いました。

(抜粋ここまで。全文はソースでご覧ください)

​​
ここで問題点が明らかになりましたよ。

文中、マークしていますが、葬儀は慣例として「故人の宗教でやる」ということです。

神道ではないかもしれないと噂される上皇后陛下、令和の皇后陛下の葬儀がどうなるか非常に心配です。
全世界に中継されるわけですから、
日本神道の最高神官である日本の皇族、それも皇后にまでなられた方の宗教が、万が一違うものだったら・・・号泣

皇室に入り込みたい宗教の狙いはそこではないでしょうか?(特に学会)

世界一の歴史を誇り、オンリーワンだとされる日本の皇室。
その​日本の国教を「○○教」だと全世界にアピールできるまたとないチャンスです。​


聞いた話なので真偽のほどは不明ですが、
学会は家族から一人入信したら、自動的に家族全員が入信したとカウントされると聞きます。

そう言うやり方をする宗教なら、本人の信じる、信じないという意思にかかわらず

国民の象徴であり、最高神官の天皇陛下が「〇〇教」だから
日本国民は、すべて「〇〇教」の信者である!

などと主張しかねませんよ。

​宗教側の一方的な主張で 内部から秘密裏に乗っ取りが可能です。​

これは思っていた以上に 厄介で由々しき問題ですね。

宮中祭祀はGHQによって天皇家の「私的行事」とされましたが、
その中にこんなカラクリがあったとは・・・

日本の国家神道とは、教祖もいなければ、経典もありません。
厳しい戒律も、罰もありません。
そこが他の宗教と大きく違うところです。

それはひとえに「人の生きる道」としての指針と言ってよいものです。
自然を正しく畏敬し、正直をむねとし、人間同士の信頼関係によって社会秩序を作る。自然や生き物と共生する。
それが神道の大きな教えです。

私達が小さい時から当たり前のように教わる
「嘘をつかない」
「世のため人のために頑張る」
「困っている人には優しくしてあげる」
「家族みんなで助け合い、協力する」などがすべて神道に通じるのです。




話を戻しますが、
国民は皇室の危機を直視し、勝手に信者にされていいか考える必要がありますね。

特にこのように特定宗教の新聞に、
当時の皇太子殿下(現・令和の天皇)が出られている事実がありますから・・・
  下矢印下矢印


​​


さて、それでは最後に、謎多きの掌典長、楠本氏の記事を貼っておきますね。












宮中祭祀を司る人間が外務省出身で、
雅子妃の父、小和田恒氏とロシアで先輩後輩の間柄。
(たしか小和田氏の横領の話もロシアの時ではなかったでしたっけ?)

そして雅子さんが入内する前に宮中に入っていた事実。
ここは要チェックかもしれません。



節折の儀、大祓の儀についてはこちらのブログ様が詳しいと思います。

(↓日本よい国、清い国、世界に一つの神の国様ブログより)

年末年始の宮中祭祀 ① 節折の儀

年末年始の宮中祭祀 ② 大祓の儀



ただでさえ、令和へ改元したとたん、
先例のない女性天皇、女性宮家問題が噴出してきたのですから、私達の心配は当然です。

何でもかんでも結び付けてはいけないとは思いますが・・・

2017年以来、3年連続での7月に入ってすぐの豪雨被害。
奇しくも令和の天皇陛下は、
民間の外資企業が癒着した”「水」のフォーラム”の名誉総裁でいらっしゃる。

しかも長年,国連とも夫婦でご懇意

私には、これは「穢れが祓えていない」という神様のメッセージのように思えるのです。​​​​​​





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Last updated  2019.07.10 00:48:53
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