ひなたぼっこねこ
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フライパンに、卵落として、塩、コショウ…、じゃなくて。孤掌難鳴(こしょうなんめい)、掌ひとつでは鳴らすのは難しい、両手を打ち合わせて音がでるよ、ということばですね。ひとりではなく、二人以上力をあわせて音をならそう、と麗しいお話しです。たまごも一つより二つでないと、目玉焼きとしては片手おち、いや、かため、より半熟がすきです。これ、体力だけじゃなく、財力、精神力、耐久力もありますよ、そして、手を打つ、という目的があれば力も合わせますが何時もなにが何でも俺に合わせろ、というタイプの人は逆に、孤独でもおひとりさまのほうがいいかもしれない、お仕事とか、プロジェクトがあれば別ですが、プライベートで自分の思うままに鳴らすならお互いの歩み寄りが大事、力が強いから弱い方が合わせるのが当たり前、なんてしてたら、弱い方は、体がもちませんもの。たまごだって、お金がかかるから、と親鳥の飼料がよくないと、殻が薄くてすぐ割れて、結局、売り物にならなかったりする。ましてや。出生率がさがったとか、婚姻率がさがったとか、首都圏で急病人がふえたとか、それに対して、有効で具体的な救済案があれば、いづれいい数字にあがっていくでしょうけど。エライ人たちが、庶民の暮らしを楽にするようにうごかなければ、掌はただ下に落ち、鳴らすことなぞ、ないかもしれない。
2017.01.09
夢中で作業していたら、指が動かない。ほえ?気が付くと、指が冷たい、部屋が寒い、体ががちがち震えてる。暖房入れ忘れてた、とスイッチいれたら、冷えた血が巡り始めて、いっそう寒い。なに、もすこししたら、からだあったまるでしょ、お湯をわかそ、熱いお茶でも飲もう。ヒトを含む、哺乳動物は恒温生物だけれども、身体の端っこ、手や足の先、あと於血と呼ばれる血流の滞り、などで体の一部が冷えることは、ある。そこを温かくすると、身体が軽くなって動き出すのが楽になる、平温無事だって、熱がでたりしても体調不全だもん、体温がほどよい平熱、健康に無事に過ごせるっていいじゃない、才能があるとか優れた何か、お仕事や地位、がなくとも自分自身の体調をととのえるために時間や手間を取れる、そんな平穏な日々に、感謝。
2017.01.08
うあああ、かいぃ…。シャンプーを変えたら、すこしおとなしくなっていたじんましん、再び元気に発症中。どーしてこーゆー事は過敏に素早く反応するんだ自分。肘や腿の内側、やーらかいところがモヤモヤとかゆい。上唇にもぽつぽつと小さな水泡。齢だから、なんだろなあ…。某所でも、上手いこと言う人が居て、乗せられたエライ方がやり方変えようとするのを、―それすると、今まで積み上げてたデータみんな意味なくなりますよ、―他の拠点と同じ基準にして、比較しやすくするためにこうしてるんですがと、当方と、次期管理職候補のオシゴトデキル君とで説得、何とか思いとどまっていただいたけど。そのやり方、言い出しっぺさん「だけ」が楽になるんですよね?!って言いたいのを、ぐっ、とこらえるのと、じんましんがわちゃわちゃ、の痒さに耐えるのは、なんか似ている。
2017.01.07
家に帰って玄関を開けると、すぐ目につくところに貼ってあるお札。これ、以前、ちょっと遠出をして、引き寄せられるようにお参りした神社でいただいたもの、そこは、以下の説話の発祥の地、だそうです。-貧しい蘇民将来という男が、裕福な兄に宿を断られた旅人をもてなし泊めたことから、魔除けの茅の輪のしるしを教えてもらい、それを付けた蘇民将来の家だけが、悪疫から免れ、代々栄えていった。この話と似たシチュエーションが、ユダヤ教の『過ぎ越しの祭り』。-昔、ユダヤ人がエジプトで奴隷だったころ、神がすべての初子に死を運ぶ天使を遣わしたけれど、仔羊の血を門に塗った家だけは過ぎ越した。その印は預言者モーゼに神が伝えたものだという。モーゼに率いられたユダヤ人(ヘブライ人)は無事エジプトを脱出し、めでたしめでたし。日本人でしか通じないけれど、茅も血も、読みは「ち」だなあ、なんて。どちらも、災厄から逃れることのできたたあとで、良い方に転じていった、んですね。かといって、良くないことつらいこと、少なければその方がよいとおもうんだけど、そうとばかりもいかないんですよねえ。茅の輪のなかった家、血のしるしが無くて初子が天に召された家、そちらの方の数が、少なければ少ないほどいい気もするんですが。沢山の命が失われるのは、このましくない。此の説話とは意味が違っておりますが、大事にすれば、宝ともなる人を、粗末にすれば、どうなることやら。疎民症儡。これにはなってほしくないなあ。それより、素敵な素直な人たちが瑞祥、おめでたいことたくさんがいいなあ、素民祥来。
2017.01.06
お仕事してたらお菓子をいただきました。 ふんがーうんがー!、 と ガオガオしたい時も多けれど、 ニコニコふわふわになる時も、ある。 他の、華々しいご職業の方とくらべずに、 地味でもお仕事まいにち、してる、 それを自分だけでも認めても、いいよね。 ほんの少しづつでも、 地に這うようにしてでも、 前に進めてれば、マル、としよう。 …ほんのすこしづつでも、 身についてお腹が豊かになって、 匍匐どころではなく、 ビヤ樽のごとく転がってすすむ、 豊腹横進、なんてなりませんように お菓子たべたから、夜は控えめに、 …できたらええなぁ…。 食欲・甘いものへの渇望こそ ジリジリ進んでくれれば、ねぇ。 iPhoneから送信 2017/01/05 9:28、 のメッセージ:
2017.01.05
本日、お仕事はじめ。朝から順調に、…まあ、エライ人に、えらいこっちゃされてへろへろ。早々に帰って、ご飯食べようとして、そこでも、すっとこどっこい、もうげっそり。それでも、お仕事にいっただけでも、すこしでも事務仕事片付けたから、よし、としよう。すこしの水でも、それが積みかさなれば淵と成る、という。わずかの努力でも、重ねていけば、いつか結果がでるかも、しれない。…そうならないかも、しれない、そんな水、ひっくり返したる!取り返しつかなくなったって!!!!…、というのは別の話、なれど。淵というより、穴を穿つような気も…、胃か、頭髪が円形に脱けたりとか?全国の上司さあああん!!部下いびるのはたいがいにしてくださいませ、お仕事に穴、あけたくなくば。いいことの、淵ならいいけど、うらみつらみも、つもれば、淵どころか深淵、となりまっせ、その時に、しらなかった、といっても、積み重なった思いは、消えませぬ。
2017.01.04
―いやー、良かった!ワインのみます!「ほんと、面目ない、はい、どうぞ」―年末ミステリばっか読んでたから、なんかあったかと思って。じゃサラダも。「連絡もしないで爆睡しちゃって。行く、って言ってたのに、すんません」―ひと晩経って、行方不明だったらどうしようかと。あ、ピザお願いします!「電話かけようとしたら電池きれてて。ごめんなさい!!」年始を一緒に過ごそう、と約束してたのに音信不通だった、ウチから独立した上の子。お家でガーガー寝ていたことが判明。よって、上の子のおごりで外食とあいなりました。ほんとに、こうして笑って一緒に食べれるからいいけど、何も連絡取れなかった間、心配したんだぞお!!!ま、結果的に、酉年の初めに酉年うまれの人からごちそうになれるんだから、当方にとっては、ラッキー!!なんですけどね。鴨が葱を背負って来る、くらいなことですが、三が日、お正月気分のフィナーレ、ちょっと派手に豪華に、鳳凰におごってもらった気分、今年一年、良い年決まり!これ読んでくださったみなさまにも、福多かれ!!
2017.01.03
あてにしていた話が、おながれに。さあこまった、昨日の分はさっきなんとかしたけど、さて、今日これからと明日だけで、賞味期限3日までの食材、たべきれるんだろか。上の子が来る、というからセーブしていた?食欲なれどこうなっちゃあ、仕方ない。甘いの辛いの煮物に酢の物、あれはいちにちくらいだいじょぶ、これはもうたべちゃえ、…毎年、松の内まではズボンやスカートのウエストはこれがバストならねえ、というほどにボリュームアップ。もんだいは、一度アップするとダウンはしない、ということ、…これも、短期決戦で正月前にもどってくれば、ねえ。
2017.01.02
ゆめを、みた。若い人が、ニコニコ笑って、赤ん坊を抱っこしている。そんなひとが、たくさん、たくさん。お年寄りがニコニコ笑って、ゆっくりゆっくり、あるいていく。それを見守る、壮健な男性や、きれいに着飾ったマダム。女子高生が、真冬にあったかいタイツを履いたり、会社員が、風邪ひいて会社やすんだり。そんなことが、たくさんたくさん。夢から醒めて、それが夢だったことが、夢でないことが、夢のよう。
2017.01.01
あけましておめでとうございます。みなみなさまにとって、もちろんわたしにとっても、すごくいっぱいたくさん、たのしいことすてきなことがある年になりますように。今年もよろしくお願いいたします。
母に、あってきました。実家に居たとき、お正月のお雑煮は、元旦と三日は父方の新潟の、野菜たっぷり、二日だけ、鶏肉と三つ葉のシンプルなもの、このお雑煮は、母の実家方のもの。今年お嫁にいった上の子が、ことのほかその鶏のお雑煮が好きでした。もう、一人暮らしの母は、シンプルな年末年始らしいので、きょうのうちに、鶏のお雑煮作って、お餅を薄く切って、母のところにもちこみました。サンタの鈴の音が去って、町は静かになっていたけれど、きょうはまた、にぎやかで。家にも、いただいたり買ってきたりの美味しいもの、たんと。ことしも、つつがなく、めでたく、無事に、越せそうです。こちらにご訪問くださったみなさま、本年も一年間、ありがとうございました。来年も、幸多い、素晴らしい一年になりますように。
2016.12.31
ふ、と気が付くと脳内再生。数年前まではまーーーったくしらなかったのに、今やギターを叩く音が聞こえると、旋律がどんどんながれてくる、『タンゴ組曲』。ほかにも、同じくアストロ・ピアソラの『リベルタンゴ』先日急逝したディアンスの『タンゴ・アン・スカイ』、など、門外漢ながら、名前を知った曲がいくつか。身体はじんましんがほぼ毎日、というふうに抵抗力が弱って老化弱体化していくけれど、その前に好きで動いて聞いたことは、他のヒトから見たら、知識や見聞や友達が増えた、というような現実的な実りが多かったとはいえないだろうけど、自分自身は、得たものが多かった。夜、お布団に入って、暗い部屋の中で目を閉じると、好きな曲を演奏する手が、音と共に蘇ってきて、あんがい自分の目でみたもの、その場で楽器の音を体感したことは、目と耳いがいの、体でも覚えているんだなあ、と、もっともっと記憶が薄れて年を重ねた遠くない未来、曲の名前や演奏を聴いたことを忘れてしまっても、きっと体は覚えているんだろうなあ、生きている限り。…さすれば、たぶんうまれてはじめてきいたタンゴなんぞも何よりも深く、わかるんだろうなあ、しるひとぞしる、わが恋人か、『黒猫のタンゴ』。
2016.12.30
あと、数日で来年、酉年ですが。そのフライングで「こけっ…」、ではなく。きょう、段差に足を取られて転びました。ゆくとしくるとし。寄る年波。さる若さと美貌と…(書いてみたかっただけ、おみのがしを),左足首、軽いねんざですが、明日もお仕事、元気に通勤、まあ人が少ないからなんとかなるでしょう。ほんの小さな怪我ですが、普段何の不自由もなく歩けてる、ってしあわせなんだなあ。皆さまもお体おきをつけて。こけないように、げんきなこけこっこー!!な新年むかえましょう。
2016.12.29
たったいま、茨城県で震度6弱の地震発生、わたしのいる場所でも、揺れました。皆様、お気をつけて。建ってからずいぶん経つ建物、中が整理されていない家屋、壊れかけ修理しない設備、そんなものがたくさんあっても絶対無事、と言い切れる自信、わたしはその方が恐ろしい。
2016.12.28
猫が足を内側に、見えないよう座るのを「香箱座り」と申しますが、また別の香箱、みてまいりました。小さな歯車や機械に囲まれた薄い金属の円形の箱、時計の中の部品、香箱。もともとは、読んで字のごとく高価で貴重な香木などをしまう蓋付きの箱のこと。時計の中で大事なゼンマイを仕込んだ箱もそうよぶのは何とも風雅な。ほんの数十年前はとても高価だった時を知らせる器械、むかしもいまも、大事なものは薫りの字面にご縁があるみたい。
2016.12.27
ぜーーったい、伝わらない恋心。ええ年して、惚れてしまった、女にやさしいけれど、あまやかさない。仕事ができるけど、それをひけらかさない。つい、あらん限りの情報を集めて、その方の書籍を買い占めて…、年下で独身で、でもでもとても遠い存在、、いろいろ紹介されたり推薦されたけど、やーーーっぱり自分の好みが一番、若竹七海さんの小説内の人物、葉村晶さん。先週の三連休、どっぷりつかって読んで。年末年始のおやすみまでに、今刊行されてるシリーズ、読み切ってしまいそうな勢い。ヘンに、感情的でウエットな部分がすくないのがいい。細かい描写が、実に良く計算されているのがすてき。取って付けたような美の描写やできるかそれ?なトリックや、が少ない。何より、読後感が、すっきりしてる。…、と私は思うのですが、こういうのは好みの問題、わたしの、好きな、小説、としか言いようがありませんが。好きです!!晶さん。ヤな顔されそうだなあ(それがまたすてき)所詮異次元のひと、あうあう。、
2016.12.26
金土日、と三連休の、ラストの日曜、寝て読んで寝て読んで、で好きな本を読みつつぐうたらしました。これだけ寝たらもう寝なくて済むだろう、とおもえど夜になったら眠い。なんだこの万年寝太郎状態、ナルコレプシ―か。まあ、とりあえず仕事のやすみの日に充電休養できた、ということは喜ばしいではないか、と気分切り替えて。きょうももう、寝ます。おやすみなさい。
このタイトルの意味を知る人からのみ、お叱りを受ける覚悟。味がわかるわけでも、お金がありあまるわけでもないのに、いただいてきました、バランタイン30年。その価値を知るのは、酔いがさめてから、正気になってから、きっと、後悔と、ワンチャンスをものにしたエッヘン!というきもちとともに。
2016.12.25
ホーリーナイト、クリスマスイブ、ですが。どうやら風邪ひきらしく、一日家でごろごろ、のんびり。お出かけしようか、と迷ってましたが今日は安静にしてた方が、よさそう。動いた方が評価されることは多いけれど、きょうはおとなしく、その後も元気に動けるように、静なる夜、過ごします。旦那と知り合ったばかりのころ、子供の小さい時など、イベント盛りだくさんだったこと思い返せば、また楽し。きょう、イベントある方は、思い切り楽しんでくださいませ。良い夜を、メリークリスマス!!
2016.12.24
…無い。なぜ。ある展示会、幕末の大物特集の年表。様々な事柄の羅列のなか、某年会合のあと、某年某氏、遺品を云々、と繋がる。あれ?命日、遭難の日はいつ?その方の激烈なファンでないけれどその事件で命を落としたことは知っている。会場関係者に聞いてみたら単なる手違い、展示ミスでその部分の年表欄が落ちてしまった、とのこと。わたしが気になったのは、展示会側のことでなく、見学している方々のほう。その展示、最終日にいったのに、それまで誰も指摘していなかった?パネル表示では、その大物氏が落命した事件の場所、再現情景などが臨場感たっぷり。なのにみな、年表と併せては観ない?○○事件、というものが一行なくとも世界は廻る。それが生死にかかわるものであっても。過去のものならなおさら。自分と関係ない、とおもっていればいっそう。傍からみれは、ほんの一行、でしかない。たとえば、これから、日本宣戦布告。同日核ミサイル被弾。国土壊滅。などとあっても。
いつものことですが、あるセミナーに遅刻。行かないよりははるかにいいけれど、委縮してしまって声が出ない。ああもったいない、でもこれが今の自分。
2016.12.23
感覚遮断、という実験があって、人ひとり、なるべく刺激を受けないような環境で生活させると1日サイクルが25時間になる、と聞いたことがある。現実は24時間だけれども、ずれる1によって、身体はバランスをとっているのだとか。多くても少なくても、過剰でも不足でも「ちがう」ということに柔軟に対応するための、余裕。もしも、きっちり体内時計が24時間だとしたら、夢中になって、つい寝るのをわすれてた徹夜明け、またはぐーすか寝だめしたあと、今よりもっと体がきつく感じているのかも。何時何分、という刻みのスケジュールはスゴイな、と思うけれど、24時を過ぎて、だれもしらない自分だけの内緒の時間、夢のなかか脳のなかだけかのせかいこそ、だれよりも他のヒトとの差が出る個性が伸びて花開き、やがて現実に大きな実りをもたらす魔法の時間なのかもしれない。
2016.12.22
いきたいな、と思ってたイベント、売り切れだそう、あらまあ。活動初期から何度か足を運んでいて、いいな、とはおもっていたけどこんなに早くブレイクするとは。よかったよかった。いちファンとして、これからはお家からのんびり応援させてもらおう、満員のパワー、ちと刺激がつよすぎるお年頃( ̄▽ ̄)。
2016.12.21
最近、話題の本を数冊読んだ。…ううむ、やはり、沢山の人がいい、というけど私の好みは別。読み手である当方自身の感受性の老化も否定しませんが。でも、いまだに岡嶋二人『クラインの壺』は傑作だと思う。あと、黒澤明監督の映画『どですかでん』の原作、山本周五郎の連作短編集『季節のない街』のひとつ『プールのある家』。この二作を読んだ後の心持を超える小説、今の私に見つけられるか、さて。
2016.12.20
好きなだけで、門外漢で在るのは承知。ただ、先日言った絵画展で、音声ガイドにも無視されてた色使い、画面右下の、陰のように塗られた鮮やかな朱色、それが画家の『俺を置いていくな』という悲痛な叫びに聞こえてならない。
2016.12.19
ふわはははは。これだけは、男なんかにわかりゃすまい。きょう、母と一緒で、いろいろ話して。彼女はつつましい昭和の母ゆえ、そうそう言いませなんだが。えらそに軍だの兵だののたまうエライ人たち、いっそ横隔膜に受精卵着床させて疑似子宮作って、出産してみなされ。(技術的には男性の妊娠も可能、らしい).子を産む力、育てる労力、それを感じず体感せずにいるから、ヒトを消耗品のように切り捨てられる。戦場でいとも簡単に命取られる雑兵にも、母も、父もいたはずで、産みの苦しみも、育てる厳しさも、いかばかりか。モチロン、その子に何かあったときの悲しみも。…ただねえ、ほんとは、『産みの苦しみ』って、男性には無理だろうな、と思ってます、戦闘など非常事態では我をわすれて痛みも感じない方、多いけれど、構造的な問題以上に、じわじわとくる陣痛の痛みに耐えられるほど男性は雑駁ではない方、多いので。それでもチャレンジする、という勇気ある方、がんばって。未来は、新しい命を生み出しはぐくむ人のためにある。
2016.12.18
クリスマスの飾りを、してみました。家が片付いていないから、そういうことはしない人生でしたが、もう人生後半、このまま一度もそういうことと縁のないのもなあ、とあきらめの動機なのが情けないけれど、玄関に、金の鈴の飾りをぶらさげてみました。そうしたら、なぜかノリノリ?になって、部屋にもちょっとあったかい雰囲気のモノを飾ってみたり。いろんなものを持っているけれど、それを有効に使った方が人生たのしいよな、とすこし考え方変えてみました。逆に言うと、もっているだけ、じゃ場所ふさぎなだけ、すこしサヨナラ、処分してみようかと。いろんなことが怖くて、出来なくて、しなくて、動けなくて、…でも、まだ少しでもできるうちに、すこしづつでも、していけたら、いいのかもしれない。楽しめる時に、楽しんでおこう、飾りは、楽しむ為にあるんだから。それが、見た目だけでなく心からのよろこびになれば、きっと自分の力にも、なるんだろう。
2016.12.17
上野の美術館で、『ゴッホとゴーギャン展』見学。ゴッホの明るいカフェの絵がすきなんですが、それはなし。どちらかというと、ゴーギャンの絵の方が、明るい力にあふれた作品の展示が多い。ゴッホとゴーギャン、いっとき一緒に暮らして、そのあと、別々の道を行くのですが。ゴッホが耳を自傷したけれど、彼は音が見えていたのじゃあるまいか、動かぬ話さぬものの振動が、色の鼓動がみえていたのじゃあるまいか、そんなイメージの絵が、何点か。晩年の暗澹たる色の、エネルギーの渦巻く作品は、私の観た感じでは、いちまいだけ。『ひまわり』も『星月夜』もなく、それでも人物画や川など、淡々と描いているかというとけばそうではなくて、そこには間違いなくゴッホの視点が生きていて。ゴーギャンの音声解説が好きな声優さんだった、のに、今回展示の絵の雰囲気から行ったらゴーギャンに惚れそう、のはずが、やっぱり私はゴッホがすき、彼の絵から、音楽が聴こえてきそうで。それを描くときどんなにつらくくるしい心持であったか、と思えど、エネルギーが渦巻く強さに、惹かれてしまう。
亡父がのこしてくれたもの。アレルギー体質。なんかにあたるとかゆくてたまらなくなる。偏屈。仕事恐怖症。怒ると我を忘れる。酔うと声が大きくなる。音痴。あと、甘栗やピーナッツがあるとみんなむいてしまうこと。なんでよる夜中、丑三つ時になっても爪の中に破片食い込んでべそかきつつ、全部皮剥かないと気が済まないのは性分なんでしょなあ。…、どーして、ギターを弾くのによさげな長い指や学業優秀な理数系のおつむを受け継げなかったのやら、むぐぐ。まあ、父上ご本人曰くの、世渡りべた、言わずにいいこと口走って嫌われるのはしっかり不祥のわたくしの身にしみておりますので、いたしかたなし。
2016.12.16
福徳神社。なんか、よさげな名前じゃないですか。ちょっと人になにかあげたいな、と思ってうろうろしていて見つけた神社、繁華街・大通りからちょっと入った場所にこじんまりとしているけれど、最近新築されたモダンなお社。験のいい名前、とは時のエライひともおもったようで、『二代将軍秀忠公、慶長十九年(一六一四年)正月八日に参詣し「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛した。』いわれによると、創建がいつか、不祥なれど、貞観のころ(八五九年~八七六年)には武蔵野の福徳村の稲荷神社(祭神は宇迦之御魂命)として祀られていて源義家・太田道灌の尊崇も篤く、徳川家康も参詣したという記録があるそうな。福にも徳にもご縁があればうれしい、とお参りしてみました。東京の日本橋、大通りから少し、コンパクトな活気のある場所、ご興味ある方、いかが。
2016.12.15
インフルエンザの予防注射、パスさせていただきました、アレルギー体質ゆえ。本当は打っといた方がいいんでしょうけど副作用がどう出るかわからないのは、こわい。ダイジョブかな、注射しちゃおかな、と昼間は思いもしたんですが、夜中の今、じんましん絶賛増殖中。まだまだアレルギーおさまってないなあ、何が原因かわからないのが困りもの、身体のどこにでるかわからないのも、ですが。ここんとこ、抵抗力はじめ、体力知力記憶力みなうすれ、悪いことも随分忘れてコワイモノ無し、となればいいのに注射こわさは忘れない、小学校あがるまえはほぼ毎週、喘息でお医者様にいっては注射打たれていたもんなぁ。予防注射パスできて半分ホッとしてる根性無しなれど、そのかわり、外出先からかえったらうがい手洗いはこまめにしてます、みなみなさまも、お身体お大事に、何事も予防が大事、気をつけて罹患せずにすみますように。
2016.12.14
小雨模様の夜の道を歩いていたら、あの日のことを思い出した。その時は車の助手席で、深夜に走る道路に対向車も後続車もなく、ただただ、速度を上げる車の下、駆け抜ける道路の雨に濡れたアスファルトが宝石をちりばめたように輝きどこまでもどこまでも続いているのを観ていた。その時のワクワクした気持ち、期待、希望、はちきれんばかりの夢、わすれられない、初めての出産の数時間前の気持ち。きょう、気温や音や、そういったものがあのときとおなじかんじ。あのとき、私のお腹に居て、今はしっかり独り立ちしているあなたに、あなたの友達たちの前に、輝く道がずっと続いていますように。
2016.12.13
好きな曲は、好きな絵がイメージできるんだけど。きょう、サルバドール・ダリ展に行ってまいりました。好きな絵もあるんだけど、ちょっと精神的にキツい絵やタイトルがあって、すこしめげてしまいました。お隣の会場で、他の絵を観て、ホッ、としたりして。何かを鑑賞するとき、案外体力つかいます、そろそろ、どっぷりとクラシックギターやウッドベースの音色に浸りたい季節です。
2016.12.12
抱腹絶倒。「四字熟語を思い浮かべてください」、といわれて、まず、そう頭にうかんだ。続いて、「もう一つ、四字熟語を」。気の置けない人たちの忘年会で、みなが二つづつ発表していく。以心伝心と異口同音、の穏やかで才あふれる彼女。酒池肉林:猪突猛進の仕事のできるスレンダー氏。豪華絢爛&津々浦々のムードメーカーでパワフル青年。など、など。全員の発表がおわったところで、たねあかし、「最初が本人の人生観、次に言う熟語が恋愛観」なんだとか。ほほう、なるほど、わたしの二つ目は百花繚乱・有象無象・興味津々、…と頭に浮かんだけど、丁々発止…なるほどねえ…。旦那苦労するわけだ…( ̄▽ ̄)。婦唱夫随(!?)とか呵々大笑にでもしとけばよかったね。なによりかにより、恋愛も含めてそれ以上に、こうして皆が笑って美味しいもの食べれる、そんな日がつづくのが一番、いいなあ。
2016.12.11
お天気いいし、さて!でかけよう!!そのまえに、洗濯しなきゃ、たまってるし。さ、干し終わった、でかけよう!そのまえに、おなかすくとなんか買っちゃうからココアのんどこ。さて、りんごとトースト2枚とチョコ食べた、でかけよう!いかん、肝心のココアわすれてた、化粧もしなきゃ、この机の上かたづけなきゃ、在庫整理も、買うものリストも、さ、いまは無視してでかけよう!こうして、PCに向かってるのが一番いかん!!いってきます!!!
2016.12.10
心温まる話だよ、と旦那様に先立たれた老婦人が、すっかり生きる気力を失っていたところ、知人の勧めで心慰めるために犬を飼って、その散歩で知り合った殿方と第二の人生の希望を語るようになった、…んだって、と教えてもらった。ほう。いいねえ、そういうのも。だが、しかし!当方もしもそんなことになったら、一緒に暮らすなら、断然猫派、そしてねこだとしたら!…まず、散歩には行かニャい、ましてやペットは飼い主に似るという、ひがないちにちひなたぼっこと昼寝とのんべんだらり、♪ろま~んの、かけらが♪…ない、なぁ…。
2016.12.08
浴槽にお湯をたっぷり張って、ゆったり沈んでいたら随分と時間が経ってしまった。フワフワと今日も一日すごして、なんとか夜お布団にもぐりこむ。浴槽で浸かっていたら何度か口元までお湯がせまってきた。自覚なく寝ている。おぼれかけだよ、と以前教わった。とっぷりと湯にひたり、お布団に入り、あさ、目が覚めるまでぐっすりと。なんてへいわにとっぷり使ってるんだろ自分。
バレエマンガを読んで、手足がどんどんと気持ちよく伸びていく感覚。姿勢よく、バランスよく、風にのって、空気をよんで、…、運動音痴には体感できるはずもないのに、イメージってすごい、そうかんじさせる漫画家さん、すごい。
2016.12.07
即効性のあるやり方、 クサイものに蓋。 しましたされました、そうすると、 一時、良くなって、 やがて、事態は前より悪く。 …いえいえ、もう、そんなことはさせません、 さあて、どうするか すっとこどっこい路線なれど、 ガンバロ。
2016.12.06
今日は昼間あったかかったので、ランチの後は公園をそぞろあるき。地に落ちてしまえばただの葉っぱが、樹に在るうちは、下から仰ぎ見れば陽が透けて、金に錦に輝いて。…この色が、お菓子箱の下から輝いて見えれば、ワルにも染まろうものを。つまらぬ世界にいるのう、おぬし、と、燃えるような紅葉が笑ったように風に舞い、それがヒトさね、と黄葉がはらはらと散りおちる中、煩悩に包まれた二足歩行動物は彼らよりはるかに短い寿命をあくせくする。
2016.12.05
きょうはあったかかったけれど、道を歩いていて桜の花がさいているほど、とはおもわなんだ。おもわず、たまたま私の前を歩いていたご婦人と、歓声。きゃあ、なんてきれい!でもどうして、こんな時期に。その方が、樹の幹の下の方に括り付けてあった札、発見。「十月桜、っていうんですって。十月から以降に咲く、って」なにもこんな、普通なら寒くなる時期に咲かなくても。でもそのぶん、ただ鑑賞する身としては、たいそう恵まれた、ツキをもらったような、うれしい気持ちをいただきました、ありがと~。来年も、あたたかい十月以降があるといいね。
2016.12.04
うほほ、一人でなきゃできまい、今日のランチは、ぜんざい、粒あんのやきもち入りの御汁粉。だれかと一緒だったら、ちょっと…とクレームつきそう。あさも、粒入りの缶のおしるこ、おやつに、出勤の土曜日だったので、会社の人が配ってくれたのは一口あんドーナツ。なんだか今日は、あんこ食べたい日でした。明日はおせんべいかなあ…( ̄▽ ̄)。
2016.12.03
月初なので、職場で勤務表を労務に提出しました。有給休暇台帳をみて、「げ」…なんで、やすんでないんだじぶん…( ̄▽ ̄)。若くて仕事のできる元新人さんに、「どーんどん、休んでください!僕も休みますから!!!」と、明るく言われて、思い切り同意で縦に首をふったけれど。どーすりゃいいの、この仕事の山。おやすみすると、このお山が更に高く、大きく威圧感もってそびえたってくるんだよなあ、…終業5分前にこの山がさらに成長する日々はかわらず。ま、いなきゃいないでどーにかなるのはわかってるんだけど、残業が増えるだけで。要領悪い、段取りがなってない、なんといわれてもしかたないけど、でも一区切り、つけてやすみます、人生はいちど、身体は一つ、経験しないとわからないことだらけ、仕事だけで終わるほど、仕事デキるわけでなし、ただ上司どのに有給許可とるとのがこわいだけ、なんてのはもう、卒業するんだい!!
2016.12.02
それは、頼まずにはいられませぬ。ちょっとお茶したい、と入った喫茶コーナー、飲み物とお菓子が数種類のうち、ひとつづつ選べるシステム。お菓子はお店の方がわざわざお盆に三種類、このうちのどれかをお選びください、とみせてくれる。金箔をすこしあしらった練りきり、素朴なかんじの干菓子、お饅頭。ビジュアルに弱いので、金色の♪…、と、口を開こうとしたとき、お店の方が、「こちら、にゃあにゃあ饅頭です」にゃんですと?「それお願いします!!!」と、反射的に。しばらくしてはこばれてきたのは、ややこぶりの小判型、うすい茶色の皮のおまんじゅう。甘みがしっかりしているけれども、くどくなく、薄皮も軽くて上品。お店の人にきいてみたら、加賀の言葉でむすめさんのことを「にゃあにゃあ」というそうな。いいとこのお嬢さんが、普段着でお化粧もうすく、うふふ、としているような、なんだかほっこり安心する、「娘娘饅頭」。加賀の老舗の山中石川屋さんのお菓子、今度は自宅用に買ってみよう。
いろいろ、調べてみたら、 たいへんに、 ある方に負担をかけていたこと判明。 その方からは何一つ、愚痴めいたこともなく。 ただひたすら、感謝するのみ。 iPhoneから送信 2016/12/01 9:41、 のメッセージ:
2016.12.01
街路樹は、まだ紅葉してるのにあしたから、いや、後15分で、12月。真冬用のコート、セーターの日々、ですね。おふとんの中が恋しい季節の到来、ちよっといつもよりはやいけど、おやすみなさい、当方お布団と蜜月、むふふ。
2016.11.30
昼間、声を聴いて思わず購入。「今日は大安です!宝くじいかがですか!」よく、宝くじに当たる確率は低い、砂粒のなかの一つ、と申しますが、なんの、今ここに居る私だって、いくたあまたの生存競争かいくぐってきたご先祖やらはたまた何億の生殖細胞のうちのたった二つの邂逅のなれのはて、なのだからして。これがラッキーでないのなら、逆に当たるやもしれず、これがラッキーならば、やっぱり当選するやもしれず。なにより、買わなきゃ当たりません、当てるぞ~!!!
2016.11.29
お仕事がえりの電車の中で。運良く座れて、さらに運良く、お隣に、生まれてすぐの赤ちゃん連れのお母さんとおばあちゃん。元気にむずかる赤ちゃんを一所懸命あやすお二人、みていてとても微笑ましい。そんなふうに思えるなんて、私も小さい子の親だったことがあったから、こそ。赤子が泣くのがうるさいとか、黙らせろ、とか思うのは構わなくてもそれを声に出して言って、静かにさせろというようなお方は自分が赤ん坊だったときはどうだったか、ご自分に子供ができた時はどうなのか、はたまた、ご自分や近しいひとが事故や病で他の人に看病してもらわなくてはならなくなっても、そう言えるのか。そんな、想像力が持てるようになったのは自分も幼い子供がいた親なんてものになったせい。お隣で可愛いお子さんを観てるだけでうふふ、となるのはやっぱり、無責任な、幸せで、これがわかんないひとにはわかんない、贅沢。
2016.11.28
なんと、カレーが6種類!その他、キャベツやナスやの炒め物、などのつけあわせ、うーん、ごっくん、おいしい!!!!お友達が誘ってくれて、某所でカレーをいただいてまいりました。他に参加者もたくさん、小さなお子さんも居て、にぎやか。集まった人のなかに、手で器用にカレーとご飯をまぜて口に運ぶ方も。聞いてみたら、インドに行ったり、インドのヒトの教わったり、わたしもやってみたい!!!でも、今爪がのびてるから、またこんど。…次があるかは、わかりませんが。市販のルーで作るカレーだと、油分が多くて、ちょっと辛い時もあるけれど、きょうごちそうになった手作りカレーは、サラリとしていて、スパイスが効いていて、それでも、ちょっととろみがあって、食べた後、おなか一杯でお腹にたくさん入っているけれど、なんか体はさわやか。一種類なら作り方や材料をきこうかな、と思いますが、これだけたくさんあると、美味しさを覚えるので精いっぱい、ワシワシもぐもぐ食べて、ご馳走さま!!
2016.11.27
長野県の松本市時計博物館にいってきました。入館すると、壁一面が時計、内装もおしゃれ、そして、入館料を払って展示室に入ると、緩やかならせん階段の上の方にはゼンマイの壁紙、区切られた円形の小部屋は光源が時間差で動いて説明がじっくり聞ける。むかしの、自然を利用した、日時計、水時計、それと同じ原理の砂時計。小部屋から出て、他の展示ケースには、時分秒と月日の表示の時計、最近の精巧な時計、腕時計,懐中時計、ナース時計など。壁に表示される松本の歴史パネルなど、それも面白い。2階へ上がると、十二支の文字盤の和時計、壁に掛けたり吊るタイプの縦長の時計、愛らしい鳩時計や、そのほかのからくり時計が保存状態もよく、美しい意匠がよくわかるよう展示されていて。かつて、旧い時代、時計は、宝石と同じ、貴重品で、精密細密緻密で高価な機械を封じ込めていた。一緒に行った、若い女性は時計のちくたくいう音がめずらしい、癒される、と備え付けのふかふかのソファで目を閉じてくつろいで。わたしは、というと、小さな金属のボールが、受け皿にジグザグに穿たれた溝に沿ってかちかちと動き、端まで到達すると上の左の目盛りがひとつ、ごとり、として受け皿が傾き、またボールは反対方向にかちかち、目盛りがごとり、これが60回のちには右の目盛りが一つ動くんだろな、という、目に見えるからくり仕掛け?な時計から目が離せない(本田親蔵氏製作のローリングボールクロック、パンフレットより)。やがて、わざと少しづつずらしてあるのだろう、昼過ぎに入館したわたしたちを、つぎつぎと、息を吹き返したように、時計たちが、さまざまに、正時を告げる、毅然とした、響きで囲んで。それはなんとも、贅沢な時間でありました。
2016.11.26