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昨日(31日)は、午前3時まで本を読んでいた。『遠ざかった明日』の第10章の途中まで。 芹沢光治良(せりざわこうじろう)のこの本は『人間の運命』シリーズの最終章と考えられるから、残りの50ページほどを読了後、つたない読後感を日記に書こうと思っている。しかし、全15巻の大作であるから、どんな風に書いてもごくわずかにしか私が受けた感銘や共感、疑問、ちょっとした反発をうまく吐露することはできないだろう。また、そういった才能が私には無い。こんな時はいつだって、自分の文章力を高めたいものだと切に思ったりするんである。 先日など、去年の日記をところどころ読み返したところ、同じことを言葉を変えて繰り返していたりして我ながら情けなかった。また、必要以上に婉曲に書いていたりするので、まわりくどく、それがなんだかいじらしいようで、おもしろくもあった。いつぞやの日記などは、途中からはっきりと「死」について書いているのに、わざわざ「死」とせず「それ」なんて書いている。公開日記であるということを強く意識するのか、書く側の責任あるいは我が身の保身のためにあのような文章になっている。これについては、今後いろいろ考えてたいような心境である。
今日の午前、久しぶりに書道の練習がしたくなって思い切って道具箱を出してみた。細筆でまずは「いろはにほへと・・」の練習を何枚かしていると、近くで遊んでいた長女が興味を示し、「書きたい」というので道具箱の下に敷いている古新聞を引っ張り出していた。2匹(?)のイリオモテ山猫の大きなカラー写真が載せてある新聞に気が付いた長女が見せてほしいというので、広げた新聞を持ち上げて紙芝居を見せるようにして見せた。裏面に書かれている記事を読むと、とても大きな横書きの見出しで「るさ發渙詔大の結終爭戰」とあり、下に続く縦書きの見出しの文字「帝国、四國宣言を受託」に続いて非常に小さな字で「大東亞戰爭は遂にその目的を達しえずして終結するのやむなきにいたつた、云々・・・」とある。さらに、普通の文字より少し大きい字で『詔書』が真ん中にある。そして時の内閣総理大臣、男爵、鈴木貫太郎の内閣告諭があった。私はあわてて日付を見ると、日五十月八年十二和昭とあった。 1995年8月15日の朝日新聞の第一面の紙面いっぱいに、昭和20年の終戦の日の新聞をそのままに載せていたのだった。1995年8月15日、私は友人の故郷の大三島(愛媛県)へ一緒に帰省し、毒ガス島を見学に行ったことや、夜に彼女の父が家の屋上の蚊帳の中で、星空を仰ぐようにして語ってくれた東条英機の話を思い出したりした。暑い夏だった。あの頃、本土と瀬戸内海に浮かぶ島々を結ぶ大橋が(たしか)3つも一度に造られたのでその橋を渡るために、大阪から車で帰省した。帰りは、車をフェリーに載せて大阪まで戻ってきた。そのフェリーには大浴場があって、大きな窓から一面に広がる海原を羨望できる。夕暮れ時だった。まるで海面と湯船の水面とが繋がっているような錯覚を覚える。地平線上に大きく映った沈み行く紅い太陽が身体を浸している湯の中に融けていくようだった。あんな素晴らしい旅をもう一度したい。だけど私たちが乗ったあのフェリーはもう無い。 そんな事を一瞬のうちに回想しながら、長女にせがまれて半紙に書いた文字を2,3度読んだ。 いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす ん 夕方7時半頃、投票に出かけた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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