京都へ「仏教思想」の勉強に行った帰り、駅の券売機の前で、米子から来たという老紳士から声をかけられる。
背広にスラックス、帽子といういでたちで、話を聞き始めてすぐに礼儀正しさが感じられる人だった。 老紳士曰く、東山へ行き、見事な桜を見物しているうちにセカンドバッグを取られてしまったという。 「あまりのショックに茫然自失の呈であり、うまく話せないが酒などは飲んでいないのである、困っている」とおっしゃる。 たしかに、かろうじて平常心で話されているという面持ちである。 雑踏の中、一瞬酒の匂いを感じる。
「それでは、まず警察に届けましょうか」と提案するも警察にはすでに届けたそうで、これから芦屋の親戚の家まで行ってお金を借りる心積もりだが、芦屋までの電車賃がないので貸してもらえないかと相談を持ちかけられる。 話を聞きながら私は、この老紳士にごく若い頃の田舎から遊びに来ていた頃の純朴な自分を見、未来の年老いた私自身を重ねずにはいられない。
差し上げるつもりで、芦屋までの切符を券売機で買って手渡すと、「地獄に仏とはこのことです」と頭を垂れて感謝される姿にはっとする。 瞬時に手に提げている鞄の中の、借りてきたばかりの「ブッダの生涯」という本のことを思う。そして、こんな私にも人を助けることができるということを、この老紳士に教わった気がした。 ボーディサットヴァ、すなわち「悟りへ向う者」にこの私がなろうとしてもよいのだ、そしてどんな人にもその素地があるのだと気付かされ、励まされたのだった。
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