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年齢がバレますが(^^;)、20年以上お付き合いしている、信心深い友人がいます。 布教されることも少なくありません。最近は私も自分の意見をうまく伝えることができるようになったのか、お互いの意見が最終的にはかみ合わなくても自然だと思っています。むしろ、相互の違いを再度伝え合うことができて喜びさえ感じます。
「宗教や民族など、さまざまな違いを超えて理解しあおうとすることが大切だと思う」っていうのが、だいだい、いつもの私の意見です。それに対して、最近、「その考えは(主に宗教の違いを超えて、とか無宗教、の部分が)わからない。」と言われたのが少し悲しかったりするのですが、友人も言葉では「わからない」と言いつつ、長年お互いの意見が延々と平行線を辿っていても、やっぱり友達として歩み寄ろうとしていると思うのです。 それで先月、三日間連続で参加した、京都文化会議~地球化時代の心を求めて~ の資料を送ったところ、とても喜んでくれました。いつも彼女から本や新聞の切り抜きなどを送ってもらうばかりです。彼女を理解しようとするには、彼女の信仰する宗教を少しでも知っておくのはいいことだと、私なりに思っています。まずは私から、彼女を理解しようと(どんな人とでも、完全な相互理解というのはほとんどあり得ないでしょう)したいのです。 毎日、長女とピアノの連弾をするのが楽しいです♪ もちろん、ごくごく簡単な曲です。 次女は、それを見てすぐにチャチャを入れてきますが、そのうち長女と次女が連弾するんだろうか~って楽しみにしてします。あんまり楽しみにしないほうがいいとは思うのだけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 27, 2004 10:18:22 PM
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