カテゴリ:ヒラカワの日常
カシアス内藤に関する
熱いルポルタージュと、写真集を最後に しばらく、沢木耕太郎から遠ざかっていたのだが、 ウチダくんの兄ちゃんがおもしろいというので 『凍』を読んでみた。 一気に読んでしまった。 いやぁ、すごいな。 これまでは、対象の人物について語りながら どこか、沢木自身のストイシズムやヒロイズムといったものが 克っていたような、気がしていたのだが 『凍』では作者は背後に消えて、 クライマー山野井泰史の人間が 圧倒的に迫ってくる。 勿論、その奥さんの妙子さんと、かれらが 挑み続けたものの描写も鮮やかである。 これまで、沢木耕太郎は、 幾分かは自らのルポルタージュのスタイル(それはかれが切り拓いたものだ) に窒息しかけていたのかもしれない。 ストイックで端正だが、どこかけれんがあった。 それが、この山野井という圧倒的な 人間に出会うことで、 ノンフィクションというものの新しい 可能性を見つけ出したともいえるのではないだろうか。 ひとつひとつのページに分け入ることで、 読者は、どんなスポーツにも似ていない激しい 闘いを至近から眺めることになるのだが、 たとえば、俺はこんなちっとしたサイドラインにもぐっときた・・・ -だが、それ以上に山野井が妙子に惹かれたのは、そのやさしさだった。 妙子がなんとなく自分に好意をもってくれているのはわかっていた。 しかし、山野井が惹かれたのは自分にやさしくしてくれている妙子ではなかった。 自分以外の人にやさしくしている妙子を見ているのが好きだったのだ。 - すると、電話の向こうで耳を澄ませていたらしい母親が、不意に大声で 泣き出すのが聞こえた。それを聞いて大津は思った。死んだかもしれないという報には ぐっと耐えていた母親が、無事と知らされたとたん泣き出す。 感情をおさえた、奥行きの深い筆致だ。 だからこそ、 山野井泰史という稀有の人間の 息づかいを伝えることができたのだろう。 作家とその対象の最も幸福な関係というものが ここにある。 そして、その関係が成立するためには、 かくも過酷な現実が必要だったということでもある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.04.17 06:08:26
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