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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.09.15
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カテゴリ:ヒラカワの日常
日曜日、
ヨーロッパからアメリカ・カナダをめぐる海外放浪から帰ってきた娘と、
家で無聊をかこっている妻を連れて
江戸東京博物館の『故宮書の名宝展』を見に行く。
ゆったりと書を堪能しようという気持ちは、
大混雑のギャラリー入場後にすぐに挫けてしまった。
日本人は、これほど文化に飢えているのだろうか。
それとも、ほとんどは俺たちと同じ招待客なのだろうか。
よくはわからないが、
列を作り、人だかりの肩口から
背伸びして覗き見るようなものではないと思い
鑑賞を断念。
人の頭だけ眺めて出口に急ぎ、
別階にある
常設の江戸風景、明治から昭和初期の東京風景を見物することにした。
以前一度見に来たことがあるが、
客の数も少なく、ゆったりと古きよき江戸の風物を堪能することが
できた。
その足で、ステーキの名店である白髭橋たもとにある
「カタヤマ」へ。
欠食児童のように、三人でステーキにむしゃぶりつく。
うまい。

帰宅して、思うところあって
何度目かの『さようなら、ギャングたち』を手に取る。
この本は、何度読んでも、読むたびに新しい発見がある。
いや、そのように、つくられている。
ラジオで対談したときに、「自分たちの体験を書きたいと思った」と
源一郎さんは言っていた。
今回読んでみると、たしかにここにはかれの三十五歳までの
体験の全てが塗り込められているように思えた。
しかし、勿論私小説的にでもなく、メタファーとしての物語でもなく、
まったく独特の方法で、書かれている。
田村隆一、谷川俊太郎、中島みゆき、パウンド、ヘラクレイトス、
ボリス・ヴィアン、大島弓子、ジャン・コクトオ、ブローディガン、
ドストエフスキー、ジェームス・ジョイス、フーコー、エミリ・ディキンスン、
いや、きりがない。
おそらくは、かれが愛好し、影響を受け、あるいは忌避してきた
文学者、詩人、漫画家の歌枕を積み重ねるという方法で。
いったい、いまの若い人々の幾人がこの小説を理解するだろうか。
いや、かれの同時代の誰がかれのこの野心的な試みを理解しただろう。
最初に本書に触れたとき、俺にはまったくかれの意図を理解できずに
ただ表現の冒険として読んだという記憶がある。
この度読み返して分かったことは
あの時代の俺たちの気分を文字にするとすれば、
このようにしか書きようがないというところで踏ん張って
妥協を排していった結果が、冒険的な表現となっただけだということである。
その意味では、ポップカルチャー風な外装を纏っていても
これは私小説なのかもしれない。
「最初の一ページを書いたとき、これは傑作になると確信した」
と源一郎さんは言っていた。
この度読み返して、傑作とはこういうものをいうのだと思った。
この本と、『一億三千万人のための小説教室』を合わせて
読むと、かれがどれほど小説を愛しているかがよくわかる。
これほど強い愛を持てるということがすでにひとつの才能であるということも。





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最終更新日  2008.09.15 14:59:57
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