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カテゴリ:私の住宅屋への道のり
私のその事務所での最後の仕事は大阪の 図面を持って新幹線に乗って大阪に打ち合わせなんて というのは、実は私はそのプロジェクトの担当ではなく、 私はそのプロジェクトの仕事の流れすらわからずに、 『オオシマクン、大阪行って打ち合わせしてきてくれ!』 との指示のみで新幹線に乗ったわけなのです。 緊張の打ち合わせ。 ”よしよし、これならスムーズに打ち合わせは終わり と内心、他事を考え出したそのとき、 『ところで、伏せ図は持ってきてないの?』 『??? ふっ、ふせずですか』 頭の中がぐるぐる回りだした。 ”ふせずって、伏せ図だよなあ、土台とか梁とかの 実は日本の大学教育では木造の構造については そして設計事務所でも・・・ 私みたいに設計マンが伏せ図を描いたことが無いこと自体は 『伏せ図が必要なのですか?』 『おかしいなあ、頼んであったのに・・ と言いたくなる気持ちは 描いていってよと言われて、私はどうすべきだったのだろう? でも恥を忍んで 『すみません、伏せ図描いたことがないのです。』 正直にそういうしか選択肢はやっぱり無いですよね。 『えー、しょうがないなあ、今から一緒に仕上るか』 その後、担当者が私にレクチャーしながら 全部で10何棟の区画のたった一つが終わった。 『もう時間も遅いので、今日は持ち帰って レクチャーしながらなのでもう1棟でも しかし担当者さんはありがたくも居酒屋に誘っていただいて そうして名古屋に戻ってきたわけなのだが、 1軒分を目の前で聞いただけでわかるほど 事務所の誰に聞いてもあまり知らないだろうし、 私はどうしたかというと・・・・ 父親に教えてもらったのだ。 父親は14歳から大工で そして初めて父親から建築のことを教わった日が そして木構造のおもしろさが判った気になった日 結局、残りの10何棟の伏せ図を完成させたときに 『おもしろいじゃん!!』 設計事務所に入って、初めての満足感が感じられたのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.02.20 00:00:24
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