転職顛末(思い出2)
自分のこれまでの2回の転職を語るには訳がある。それは数日後にとっておいて・・・2回目の転職は、1回目の転職から15年目だった。順調だった外資系の半導体の会社も、半導体不況と再編の波に洗われた。それも外資系会社だけあって激しいものがあった。そのリストラのやりかたは、素早く、徹底的に行われた。その波に洗われたと同時に、こちらも15年目にさらに脱皮したい欲望が芽生えていた。しかし、この時は3人の男の子も中学3年、中一、小学5年。転職するには勇気がいる。しかもこの時、どこに転職するかはいくつかの選択肢があった。それも冒険を強いられる話ばかり。一つは、千葉にある外資TVショッピングの会社。二つは岩手の北上市にある同業・半導体の外資。そしてもう一つが、なんと米国はミシガン州への渡米転職の話。リストラの動きは先行して情報があったので、代わりの転職先は早めに動いていたことと、外資にいたせいか、幸いにいくつかの選択肢があったのだ。しかし、この選択肢のどれを選ぶかは、さすがに迷った。親友・親族への相談した中でも、三番目の渡米は半数は反対した。持ち家もあって、両親もいて、三人の子供の状況を激変させなければならない。この環境の中、敢えて渡米転職の道を選択した。仕事の面では、リストラの混乱もあって、不完全燃焼の面があった。合弁設立から会社を支えた自負と、しかし不況になった途端に従業員を切る会社のやり方への憤懣で一杯だった。自分の転職は、2回目の場合は、会社事情によるものだが、その転職先については自分の意思が全てだった。強いられたものでなく自分の意思で動いたという意味で、一回目の東京→仙台も、2回目の仙台→米国ミシガンも同じ。これは約6年前の話で、特にリストラの話はこれまでしたことはなかった。いくつか、嫌な思い出もある。上司との関係、社長との関係。この辺から、脱出したかったという動機もあった。それが自分の転職の実現と結び付けられたことが、年齢的にもちょっと珍しい形の渡米転職となった。