カテゴリ:トゥットゥルー
「今日、全人類のうち20%の人たちが大部分の富を所有し、世界中の資源を消費し続けるあいだ。取り残された80%の人たちは今もなお、貧困の中に生きています・・・」 こう語るのは、『銃と寝る少年時代』を過ごしたジンバブエ出身のデビット・ポーコック。 「ワラタス(NSW州)の主将は豪州ラグビー界の顔」とまで言われる(←すみません、勝手に作りました・・・)、テストマッチ79試合出場のウォーさんを押し退け、若干21歳にしてワラビーズに定着。 以下、現代の「ラグビーエリート」の足跡を、ちょびっと紹介。 2005年、高校代表として活躍。若くして才能が認められながらも、年齢制限によりプロ・ラグビー(SP14)への出場が願わず。 2006年、19歳以下の国代表(U-19)の一員として世界選手権優勝に貢献。晴れてSP14デビュー。 2007年、豪州協会・年間新人賞を獲得。 2008年、U20代表・主将。 同年秋、正代表ワラビーズで初出場。 2009年、SP14およびワラビーズにて、ほぼ全試合出場。現在、代表7キャップ。 ユース時代から国際級の活躍をみせ、豪州ラグビー界を牽引してきたポーコックですが、ここに至るまでには想像を超える悲劇を幾たびも乗り越えて参りました。 各地を転々としながら、一家が住み着いたジンバブエの地。 親は、地主より借り受けた農地で作物を育てて出荷する、いわゆる換金農業としてオランダ輸出向けの花を栽培する職にあり就くも、平穏な日々は長くは続かず。 ムガベ政権による『ファスト・トラック(白人大農場の強制収用制度)』をはじめとした数々の失政を単に発し、ジンバブエ国内では主に農民による殺人、略奪、家屋の破壊が日常化する異常事態が起こり、ポーコック少年(2000年・当時12歳)の周囲でも悲しい出来事が相次ぐ。 本人の言葉を借りると、「近所の家では銃を乱射され皆殺しの目にあった」、「9発も弾を受けながら奇跡的に命が助かった友だちがいる」、「知人のお父さんは死ぬまで首を絞められて殺された」、「無数の弾痕がついた車」など、インタビューの記事を読むと生々しい描写が続きます・・・ その後、ポーコック家にも殺害を予告する報せが届き、「ジンバブエの農家の子供なら当たり前の生活」とポーコックが語る、『銃を抱えベッドの下に隠れて寝る生活』が始まる。 2002年、近隣一家が殺害されたのを機に「少しの衣服と僅かな財産を手にして」14歳のポーコックと彼の家族は、家を捨てて国外脱出を図る。 南アなど数カ国を渡り歩き、ほぼ無一文の状態で豪州ブリスベンへとたどり着く。 (何年も前に読んだ記事なので、記憶が定かではありませんが・・)移住初期の生活について、ポーコックが語っていた話によると。 「豪州に着いて一番驚いたのは物価の高さです。 ただでさえ少なかった持ち金が、すぐになくなってしまいました。 それからしばらくの間、私たち家族は草を食べて生活しました・・・」 昨年12月、ポーコックは故郷ジンバブエを訪問し、同じく豪州在住のジンバブエ出身者の友人と共に、貧困にあえぐジンバブエ復興のための支援団体を設立。 その名も、冒頭のコメントにある「80%・20%」の数字を取り、『Eightytwenty Vision』。 参考リンク:『Eightytwenty Vision』HP 主な活動予定は、「食糧品の援助」、「農作物の耕作法を教える」、「エイズに感染する子供達や孤児のための学校を創立」、「医薬品の寄附」「教会の建設」などなど。 運営資金は、ポーコックや友人が出しておりますが、今後は主に「国外在住のジンバブエ出身者」からの支援を求めていくとのこと。 これからもピッチの内外で活躍する、ポーコックに注目ですね。 (*´ω`) ところで、毎年8月になると夏目漱石の『坊ちゃん』と、藤島さん著『知と熱』を読み返しており、今年も無事に読み終わりました。 さてさて、今日は『終戦記念日』。 この日が来るたびに「そろそろ、しっかりした大人にならなきゃな・・・」と、この2冊を読みながら毎年のように戒めるも、ほとんど成長が見られていないという現実もあり。。。 今年こそは、21歳とは思えぬほどにしっかり者のポーコックを見習って、ちゃんとしようかと思った、今日この頃です。 .。゚+.(0゚・∀・)゚+.゚ 画像引用:zimbio.com お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[トゥットゥルー] カテゴリの最新記事
|
|