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料理人柿沢一氏の話を聞いていて、吉兆話を思い出した。
吉兆は名実ともに日本料理を代表する名店である。 先代、湯木貞一氏は神戸の料亭の二代目である。 進学したくとも厳しい父の元、15歳で料理人の道に進まされた。 そんな中、茶会席とであった。これが湯木の運命を変えた。 その後、父親と喧嘩別れして独立。カウンターだけの小さな店を大阪に出す。 最初はお客がゼロの日もあったという。 しかし、お客を見ながら最高に美味しい瞬間に料理を出す湯木貞一の味は、お客の心を 捕まえた。戦禍で店を転々と変えるがお客は離れなかった。 贔屓のお客筋が資金を出し、彼を応援した。 貞一も茶懐石を完成していった。 贔屓の客が通い続けても、同じ料理が出ない。 客が聞くと、「一会一期です。お見えになったときは、今までにない最高の味を出すように 心がけてます」と言った。そのようなエピソードが残っている位、おもてなしの心を重視した。 バブル崩壊後の、1991年、湯木貞一に率いられた吉兆は、一男4女にそれぞれのお店を 引き渡す。本吉兆、東京吉兆、京都吉兆、神戸吉兆それに問題の船場吉兆である。 三女佐知子(現社長)の旦那が正徳が継いだのが船場吉兆である。 禎一の死後、船場吉兆は無謀な拡大を続ける。 質を落として仕出しや、弁当を受ける。このとき、うでのいい板さんが結構辞めていった。 給料は安いけど、技術が身につくから船場吉兆にいるのにと言って・・・ 今回の使いまわし事件。一会一期の精神はどこにいったのだろうか。 今の船場吉兆を貞一翁が見たら、墓場から泣いているのでは? 、
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Last updated
2008.05.21 07:05:31
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