吉田拓郎が居候した検見川・広徳院
検見川送信所の設計をしたのは、東京中央郵便局など逓信建築の父として知られる吉田鉄郎さん。もう一人、検見川ゆかりの意外な吉田さんがいる。それはフォーク歌手の吉田拓郎だ。当時20歳だった拓郎は1966年、カレッジフォークブームを受け、バンド活動と平行してソロでフォークスタイルの活動を始めた。外国のフォーク、ロックの歌手達が古い民謡をカバー。こういった曲を集める民謡収集家なる仕事があることを知り、フォークの研究も兼ね、秋、再び家出し単身上京。 (ウィキペディアより)友人に「東京近辺で民謡が聞ける所は千葉」と聞き、京成電鉄に乗り、なぜか検見川駅で下車した。きっと車窓から見えた風景に、何かひらめくものがあったに違いない。その時に半年間、お世話になったのがここ広徳院(真言宗)だ。その場所の歴史は木を見るといい。写真の左に写っている銀杏は立派だ。手前にもあるが、ともに保存樹木だった。創建は774年。戦前は毎年3月16日になると、祈願祭のようなものが行われ、露店も出るにぎやかさだったという。写真は先日、検見川公民館が主催する史跡散歩「けみがわの歴史探訪入門」に参加したときのもの。年配者が多く、唯一30代の僕ははっきりいって浮いていた(笑)拓郎はここでデモテープつくりなどをしていたようだが、墓守の仕事が怖くて、結局、東京に戻ってくる。ここでの寄り道の結果、大学には5年間通うことになった。20歳の拓郎は何を思ったのだろうか? その頃は送信所も操業していた。空高く建つ鉄塔を見て、あの場所はなんだろう? と好奇心に誘われて見に行ったのではないだろうか?吉田拓郎と吉田鉄郎建築の対面もあったと思う。今は頑強な局舎だけが自分の力で建っている。2007/11/4撮影送信所跡には広いスペースがある。ここでライブをやったら、面白いだろうな。未来へ残そう 過去の財産日本初の国際放送77周年記念イベント「ほぼ満月ただの月見@検見川送信所」は10月27日(土)午後3時、千葉市花見川区・新検見川駅近くの「はなのわ広場」で無事終了しました。イベントの様子は11月14日(水)の「ニュースC-master(ニュース・シーマスター)」(月~金曜、夜9時から9時55分)で 約10分間、特集されます。千葉近県の方はぜひ見てください。「検見川送信所を知る会」では仲間を募っています。入会していただける方はこちらのメールフォームから「入会希望」と明記の上、お名前(ふりがな):ご住所:〒電話番号:メールアドレス:をお知らせください。メールマガジン「検見川送信所J1AA通信」を購読していただける方は以下のURLからお申し込みください。http://www.mag2.com/m/0000246340.htmlバックナンバーも読めます。検見川送信所についてはここで過去記事をまとめています。日本初の国際放送を行うなど日本の通信に大きな貢献をした近代化遺産・検見川送信所が取り壊しの危機にあります。これを保存、再生できないかを考えるプロジェクトです。賛同してくださる方は以下のソースを貼り付けてください。<a href="http://moleskine.air-nifty.com/photos/kemigawamusen/" target="_blank"><img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/47/0000060947/20/img2159e7f1zik6zj.jpeg" width="170" height="60" alt="musenhozon.jpg" border="0"></a>楽天で自転車を探す去年の日記は?2006/11/6 ちょっと早いクリスマス・イルミネーション(2)