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カテゴリ:国際問題
高知新聞を開けて、ビックリニュースがあった。それは社内の会話を英語に切り替えた楽天と、ホンダとユニクロのニュースであった。
日本の会社なのに、其処まで英語帝国主義が来たのかと言う気持ちである。楽天は日本人同士の会話も英語にするようで、ホンダは日本人同志の会話は日本語で良いが、外人が混じった時は英語にするそうだ。 とうとう此処まで来たのである。企業はグローバルに生き残る為には、やむを得ない選択だとは思うが、言葉と言う文化の壁は非常に重いのである。言葉は最大の文化の坩堝(ルツボ)なのだ。それを抹殺するのが、特定の言葉を世界語にする行為だと感じる。即ち帝国主義なのだ。 問題は、その不平等と、文化抹殺に警鐘を鳴らすマスコミや有名人が居ない事で、仕方ないと諦めているのだろうか?誰も其処まで言う人は居ない。 極論だが、この調子で行くと、100年先は、中国語になる可能性が高いのである。それを睨んで、中国は既に世界各地に孔子学園を創設し、中国語の普及に努めている。 経済的繁栄には、強い国の言葉を話すのが実利に繋がるから、自然と、こうなるのである。人口と経済力を掛けた総和の力で、世界共通語が決定される。と言うことは、将来は中国語だろう。人口は多いのだから、後は経済力だけだ。 所が日本では、其処まで感じる人は全く居ない。折角英語を覚えたのだから、英語が世界共通語に成って欲しいと言う程度である。 その次の時代も考えて欲しいものだ。言葉は100年200年単位で変わるから、自分の代では大きな変化は無いが、遠い将来を見越した、卓越した意見を述べるべきでなかろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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