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カテゴリ:音楽
今、高知の美術館で、シャガール展が開かれている。理由は知らないが、高知新聞はその宣伝に躍起となっている。 それはそれで良いのだが、私には、不思議な魅力があると言う意味が分からない。だけど誰一人として、そんな自分の無能を表明するような反対意見を言わない。 あの絵が感動するほど綺麗なのだろうか?全くそうは思わない人も結構多と思う。だけど、シャガールは日本では特に人気が高いそうで、その理由が私には分からない。 もしかしたら日本人の90%位の人が、私と同じ感覚ではなかろうかと、推測しているから、恥かしながら、こんな文を書いている。 美術とか芸術の世界では、同じモノでも、或る人は感動しても、或る人は何とも思わない。それが当然と思うし、感性は人に寄ってそれぞれ違うのだ。音楽だってそうだ。五月蠅いだけの、只の騒音でしか無い曲も結構多い。 しかも芸術には上下があり、分かる人が上で、私のような者は下である。だからこんなの面白くないとは言えない社会になっている。 シャガールに関しては、私のような不感症の人間だけが何にも感じないのかも知れないが、どうも良く分からない。 特にピカソなど、口や目がアッチコッチに飛んでおり、全く綺麗とは言えない。気が狂っているとしか私には思えない。 政治の世界なら、反対意見を幾らでも言えるが、こと芸術に関しては、一部専門家の絶賛意見以外、反対意見は皆無である。どうもその辺が、納得できないのだ。 だけどその道の専門家が凄いと言うのだから、凄い絵なのだろうが、もし私の家にその絵が有ったとしても飾る気持ちはない。値段が高いのだから、直ぐに売って現金に換える。要は私のような凡人には価値が分からないのだ。 音楽も同じで、或る人は歌謡曲が良いと言うし、或る人はクラッシックが好きだし、或る人はジャズが好きである。或る人はそれ等の曲は騒音でしかない。 テレビでも「お宝拝見」と言うのか、骨董品を持ち出し、値打ちを決める番組がある。我々には全く分からない。私は自分しか信用しないから、自分で良いと思えば良いし、自分で価値が分からないのは、ゼロなのだ。 つまり私は他人の目より、自分の目が大切だと思うだけの事。だから未だかって宝石を買った事無い。女房にも結婚指輪も上げていない。イミテーションと、本物の差が分からないからだ。 だけどシャガールの絵画は、どうも十把一絡(じゅっぱひとからげ)のような良い反応しかマスコミが言わない。 だから先日、1200円も出して県立美術館に見に行ったが、やはり結果は同じである。何処がどう良いのか、全く分からない。まあ芸術は分かるものではないのだろうが、そしたら少しでも綺麗と思わなければ、良い絵画とは言えないが、そうとも感じない。 牛や人間が空を飛んでいて、分かる筈がない。これは漫画の世界だが、誰もそうは言わない。 芸術と言うのは何なのだろうか?その道の専門家はドンドン先に進むが、一般大衆は理解できない場合も多い様に思う。 その点、テレビとか、マスコミが囃すものは、特に音楽等はCDとかは安いから、その売り上げで、大衆の受容度が分かるのだが、絵画は余りにも高価で、一般大衆が買えるモノではないから、結局は世界の美術館の購入で単価が決まる。つまり税を原資とした専門家の目での単価決めだ。私はこの点に何となくウサンクサイものを感じるのだ。 数日前だが、誰かの絵が50億円とか新聞に出て居たが、その原資は税金なのだ。何となくスッキリしない。
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