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カテゴリ:マスコミ
非常に重い嫌な事件で、私の勝手気儘な論評を控える積りだったが、どうも大手マスコミは、優等生が書いた様な、寸分の隙を見せない意見しか言わない。確かにマスコミで言われる通りなのだが、世間には別の意見も垣間見られる。
そして最近、非常に驚いた事があった。それは近所の人と話をして居た時、私は被害者が自分の子供だったら、どう感じるのだろうかと、想像したら、子供が可哀そうと言う気持ちと、ホットするだろうと言う気持ちが半々だったから、私が「だけど、遺族の半分位は、もしかしたら、ホットしている気持ちもあるのでは?」と言うと、その人は「全員だろう」と言い放った。 それは無いとは思うが、被害者は重度身障者ばかりなのだ。つまり、犯人はその施設の元職員だったから、身障者の中でも、重度の人がどの病棟かを知っており、2つ以上の障害を抱えた殆ど身動きも出来ない患者達を殺したそうだ。 職員に邪魔をされないように、職員を縛っただけで、一切の傷を負わせていない。完全な確信犯の犯罪だ。 そしてこの裁判だが、被害者の数から言って、100%死刑だが、この裁判は精神的に難しい。犯人は患者の為、家族の為、そして社会の為と、確信して、安楽死だと言って遣ったのだ。 思いは偏ってはいるが、それが犯人の間違い無い本心なのだ。これを素人の裁判員が裁けるのか? 私も子供の時、生まれて直ぐの、目も見えない子犬を海岸で見つけた事がある。数時間ミューミュー啼いて苦しんで死んで行くのだ。勇気を出して、横のセメントの堤防に投げつけ、瞬間的に殺した事も思い出した。相手が違うが、同じ様な事を遣ったのだ。 だけど、自分が死刑になると分かって遣ったのだろうか。出頭して逮捕された時の顔を見ると、もしかしたら、或る種の英雄気取りが有るのかも知れない。 どのマスコミでも、命に差は無いと言う。誰だって自分の命は地球より重い筈で、その通りなのだが、だけど実際には、客観的に見ると、命には結構差がある。 例えば若い人と、もう寿命が近いお年寄りとでは、命の価値そのものは同じ様に尊いが、実際には大きく違う。 飛行機事故でも、一度に沢山の人が亡くなるが、命の価値は同じだと、一律の補償金が出る訳でもない。 その上、後進国と先進国でも大きな差がある。例えばテロで死者が出ても、先進国のフランスとアフリカの何処かの国では、50倍も100倍もの差がある。マスコミ報道の紙面や時間でも、それだけの差を付けているではないか。 また、特に日本では、自国民と他国民の死では、大きな差を付ける。そんな事を考えると、厳しい叱責を受けるが、命には厳然とした差が存在しているように感じる。 そんな意見を理解しているのに、命に差はないと、優等生の答えしか出さないのが、大手マスコミであり、しかも、そうしか言えない立場でもある。 また、この犯人の父が学校の先生らしい。その事で、校長に何かを言ったそうだが、どうもそんな事まで、言わせるべきだろうか。どうも民主主義とは少々違う様に感じるが。 だけど、色々な事件を見て居ると、犯人を育てた親の責任もかなり有るのは事実でもある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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