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カテゴリ:国内政治経済
最近は働き方改革とか言って、真剣に必死で働くより、余裕を持って、働く方が良いと言う傾向に成っているが、ホントにそうなのだろうか? そして、段々と休暇を増やし、年間220日位の労働日数でしか無い。我々が若い頃は280日位の稼働だった。 その頃、韓国に工場を建てて赴任したが、年末には幹部社員達と、年300日稼働で計画を立てた。韓国の労働者も、日系企業だから、日曜日が必ず休みだと、喜んで300日働いた。 問題は、幾ら休んでも、生産性が高いのなら、それは理想の社会かも知れず、良しとしないと成らないが、20日の新聞に寄ると、国民の労働時間に対する生産性は、G7では、最下位で、1970年以来同じ最下位の順位で、またOECD36か国では21位だ。 労働生産性は付加価値を労働時間で割ったモノで、労働生産性を上げるには労働を減らすか、付加価値を上げるかの2つしか道は無い。 だから労働者を休ませるのは、投下労働が減るから良いのだが、生産は労働時間に大きく比例する。 だから如何に効率良く働くかである。例えば昔はスコップで土を幾ら掘っていたが、時間当たりにすると少ないモノだった。今はシャベルカーで掘るから、数秒で、スコップの100倍は掘れる。 だけど、そのシャベルカーを作る労働時間も加味しないと成らない。だから、労働生産性の計算は難しいと思う。 スーパーのレジ等もそうだ。アメリカの長女の家へ行くと、娘はスーパーで買い物したら自分でレジを打つ。その方が安いそうだ。 だから日本でも最近はお客がレジを打つ様に成り始めた。これでスーパーのレジ要員が減り、労働生産性は上がる。 だけど他国との比較となると、他国より進んだ働き方が必用であり、そうは簡単に他国を超えるのは難しい。レジを今からお客が遣ったのでは、後から着いて行くだけで、追い越しは難しい。 だけど実社会では働いてナンボの世界なのに、働かない様に政府が法案をドンドン考えて行くのは、どうなのだろうか。確かに一面では正解だが、正解で無い面もある。 労働生産性が高い(1人当たりの付加価値額が高い)ほど、少ない労働力で効率的に成果を生み出すのだから、経済成長の要因と成る。つまり労働の熟練度や技術のアップであり、今までの遣り方を革新しなければ成らない。 だのに最近は、人手不足対策として、安い海外の労働力をドンドン入れる法案を作るが、この場合どう計算されるのだろうか。働く時間が減るのでは無いから、恐らく労働生産性は落ちる計算に成る。 しかも気になるのは、日本は労働を神聖な良いモノと考えている。例えば神代、神々もそれぞれに働いていたのだ。織り姫も居たしね。 だけど外国では労働を罰と言うか、嫌なモノとしている。外国の神は労働をしない。どっちが正しいかでは無く、心の問題であり、西洋風に感じる必要もない。 効率良い働きは重要だが、労働を悪く見なす必要も無いのではなかろうか。労働を美徳の1つとして、嬉々と働けたら、それはそれで良いと感じる。 する事も無く、無為に過ごす寄りは、何かをしている方が楽しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.12.28 05:30:37
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