何時まで震災の遺体捜索をするのだろうか
数日前のテレビで、私は驚くべきニュースを見た。自衛隊か警察かは、忘れたが、7年も前の東日本大震災による津波被害の行方不明者を捜索するニュースで、海岸の砂浜で隊員が1列に成って、砂浜を掘っていた。 この遺体捜査を何時まで続けるのだろうか。これが、警官とか自衛隊の訓練なら良いが、幾ら砂浜を掘っても、遺体など出て来る筈が無い。 全ての行動がコストに繋がるのだが、この意見は、日本では誰も言えず、何時までも遺体捜索を続けるようである。日本は絶対善しか言えない雰囲気が漂っており、異論の嵌まる余地がない。まあ元々、公務にコスト意識は無いのだろうが、全てのコストが国民に被さるのだ。 異論が言えない事件と言うと、拉致事件の横田恵さんもそうだ。恵さんの娘さんが出て来た以上、理由分からないが、もう死んで居る。だけど、こんな意見は、横田さん夫妻に悪いから、誰も言えない。そして何時までも拉致被害者を「返せ、返せ」との意見しか無い。 あの時、日本政府が拉致とは知らずに返還要求して居なかった曽我ひとみさんを返したのだから、多分もう皆死んで居る可能性が高い。内心では、既に死んでいる可能性が高いと思っても、日本は言えない社会なのだ。 この様な日本人の常識から、あの太平洋戦争が始まり、内心では反対でも、誰も反対出来なかったのだろう。もっと変わった異論を公然と言える社会に成りたいものだ。 例えば、人権とか、平等とかを前面に押し出し、誰もが反対意見を言えない様にして、異論封鎖をしてしまう。この東日本大震災の遺体操作も、その1つの様な感じがしてならない。 今までと全く違う方法で遣るなら、可能性もなきにしも有らずだが、人が並んで砂浜を小さな鍬で、手で掘っても、潮の満ち引きは1日に2回繰り返している。この7年間、波が打ち寄せ続けているのだ。 だから隊員の訓練なら当然良いが、私が変人なのかもしれないが、遺体捜査などとは言えない様な気がする。この無意味な砂掘りを何時まで続けるのだろうか? まあ、辛い自然災害を風化させないと何時も言うが、時間と共に必ず風化があるし、それが又当然なのだ。