2015/04/18(土)14:16
これから
体調不良のせいか
またはこの春逝ってしまった祖母のことが頭にあるからなのか
どうも、身の回りに起きる全てのことについて
今ひとつ積極的になれぬひよきちです。
表面的には実に淡々と日常のことをこなしているわけではありますが
以前は燃えさかっていた心の中の炎が
今ではすっかり消え去ってしまったかのようです。
・・・もしかしましたら これが
年を重ねるということなのかもしれません。
小さな箱の中に収まってしまった祖母を見ましたときに
最終的にこの箱の中に入ってしまうのが私たち人間であるならば
何故に私たちは幾度もこの世に生まれ出て
そのたびに死んでいかなければならないのだろうと
・・・そんなふうに思ったのも事実なのです。
その繰り返しに何か特別な意味があるのだろうか、と。
私はその繰り返しの中に縛られたくはないと思いました。
いったん死んでしまったならば、もうそのまま
その死の世界で穏やかに在り続けたいとさえ願いました。
輪廻の繰り返しの中で 笑ったり苦しんだり人を愛したり・・・
そういうことにもう、疲れてしまったのかもしれません。
この楽天日記にしてもそうなのです。
以前・・・6年ほど前までは少々時間がかかったとしましても
今の自分の気持ちをなんとか書き残そうと必死になっていたものでした。
しかし、現在はどうでしょう。
確かに忙しさというものもあります。
そしてまた体力の衰えというものもあります。
たかだか40代前半で、もう体力の衰え?とお思いになるかもしれませんけれども
確かに30代の頃と比べますと、体力は数段落ちてきております。
何しろ馬力が続かない。
100の仕事をしようと思えば、100の休養を必要とする。
1日24時間しかないといいますのに
そのうち睡眠時間に7,8時間ほど取られ
あとは家事、子育てに関すること、仕事など瞬く間に時間は過ぎ
ふと気付けば夜の12時。
30代と比較しますと仕事の効率も落ちてきております。
そして何より、気持ちの中に燃えさかるものがない。
その、燃えさかるものが何もない状態のまま
この日記を書き綴ろうとしましても・・難しいのです。
しかし、それでも
書き続けていくということに意義があるのではないか、と。
この楽天日記を始めましたのがまだ35歳の時のことでした。
あの頃は、まだまだ馬力もありましたし
今のように体調不良に悩まされることもありませんでした。
でもね、思うのですが、
こんなふうに、自身に忍び寄ってくる老化のこと、体力の衰えなど
そういうことにひとつひとつ戸惑いながらも
毎日を一生懸命に過ごしていくことこそが大切なのではないかと。
この春、思いがけなくも祖母を喪い
そして無情というものを切に感じ
私自身、少し戸惑っているのかもしれません。
これから年を重ねるにつれ やがては自分の親を見送り
そしていつかは自分自身の死というものを直視せざるをえなくなってくるのでしょう。
人の人生はまるで平仮名の「へ」の文字のようなものだと
以前本で読んだ記憶があります。
「へ」の頂点を30代中盤とするならば
あとは少しずつゆるやかに老いへの道を辿り
そして最終的には自身の死へとつながっていくのです。
・・・無常観にさいなまれながらでも
それでも、精一杯生きていきたいと思います。
まずはこれから 残された自身の生を実り多きものとするために
仏前に端座し、祈りを深めていくことから始めたいと思います。