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カテゴリ:考え方
昨日は多くの反響をいただきありがとうございます。
パーマカルチャー研究所の目的は、「自立的な暮らしをする人を増やす」ですよということを書きました。 じゃあ、自立的な暮らしって、どんな暮らしかということを、ちょっと書いてみたいと思います。 過去の自分は自立的な暮らしではなかったと思うので、過去の自分を思い出してみます。 生活するにはお金が必要。 だから生きていくにはお金を稼がなきゃいけない。 お金を稼ぐのは大変だから、嫌なこと、苦しいことも我慢しないといけないし、嫌な人とも付き合わなきゃいけない。 だけど自分は軟弱・非体育会系男子だから、嫌なこと、苦しいことを我慢したくないし、嫌な人とは付き合いたくない。 だけどそれをしないということはお金を稼げないことであり、それはすなわち生活ができない、つまりは生きていけないことを意味する。 じゃあ生きていかない選択肢、自殺する道も検討したけど、人間うまくできていて、死のうとすると苦しみが伴うことになっていて、軟弱な自分はその苦しみにも耐えられそうにないので、生きることにしました。 あれ、自立的じゃない暮らしを説明するつもりが、軽く暗い話になっちゃった。 まあだから、苦しみや嫌なことを我慢しなきゃいけないのはなぜか。 生活するにはお金が必要。 ここが出発点なのかな。 だから今思いつく解決方法は大きく分けて二つ。 1.お金をかけずに生活する 2.苦しまずにお金を得る方法を考える 今、パーマカルチャー研究所でやっていることは、ほとんどが1.につながることかな。 だからと言って、巷で流行っているただの節約術とは全然違って、もっと「生きる」ということをよくよく考えた上での、一つ一つの意味ある行為、ということを考えています。 自立的な暮らしってこんな暮らしかな ・今日やることを自分で決められる ・今日やることは、嫌々やることはなく、全てが喜びとともにやること ・日常に文句や不平不満がない ・自分の心から望む、本当にやりたいことがわかっている ・その本当にやりたいことに対しての必要なお金はある ・自分の才能や好きなこと、得意なことを自覚して、それによって自分だけでなく周りの人も楽しませたり助けたりすることができる ・怒りが少なく、笑いが多い ・不安が少なく、感謝が多い で、いつも言っていることだけど、今の暮らしは「自立的な暮らし」かそうでないか、といったように1か0かで決められるものではない。 自分の生活も自立的な暮らしに近づいてはいるけれど、「あー、今日は子どもに怒っちゃったなー。」とかいうこと、余裕であるし。 でも勤めていたころよりは、明らかに自立的な暮らしには近づいているわけで。 なんか説明になったのかなってないのかよくわからないけど、「自立的な暮らし」、こんな感じです。 必ずしも「自給自足」的な暮らしである必要はないと思っています。 「パーマカルチャー」は、自分の解釈では、「持続可能な暮らし」。 地球環境的に持続可能で、自然の中での暮らしをイメージする人は多いけど、自分にとっては、自分の精神的にも持続可能ということも考慮したい。 だから精神的に持続可能な暮らしを目指すことは、自分にとってはパーマカルチャーであり、それはすなわち、「そういう土地を持っていないからパーマカルチャーができない」なんてことはない。 普通のサラリーマンであっても上に列挙したような自立的な暮らしの特徴を満たすような暮らしができていれば、もしくはそれを目指そうとしているだけでも、それは自分にとっては広い意味でパーマカルチャーと考えます。 うまく整理してまとめて書きたかったけど、今日はこんなところかな。 何度か書いていくうちに、段々まとまってくるかな。 写真は、娘が「この人、井戸掘ってるよー」と言ったイラスト。 脱穀してるのかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.10.31 18:25:15
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