カテゴリ:NANANEKO HOMEの保護猫たち
最強ワンダーウーマン猫・奈々のものがたりということで、
前篇をお届けし、後編を書くのを今日まで内心渋っていました。 なんか、書いてしまうと本当にさよならって感じになるので でも、今日はもう25日。 昨年末に奈々が亡くなり、 今日でちょうど1か月です。 もう、さよならしてあげなければ。 前篇でご紹介しましたように、 この15年、老いてもなお盛ん なオバサンでしたが、 変化を知ったのは、昨年3月ごろ。 気づいたら、劇痩せしていました。 奈々とひかり、いつものコンビですが、 このときは、まだ極端には痩せていません。 それが、昨年3月ごろ。 このころから少しずつ痩せが目だってきて、 気づいたら既に劇痩せし始めていました。 奈々の顔が三角にとんがってるし、 実は、同時にひかりも痩せていたんです。 奈々を「母」と慕い、朝も昼も夜も一緒に付いて歩くひかり、 奈々が食べなくなっていくのに併せ、 自分も食べていなかったようです。 なぜなな猫さん気づかない? と、思う方もおられるでしょう。 本当に不徳の致すところですが、 たくさん保護猫を抱えている場合、 どうしても、里親さがしをしている保護猫や 問題行動のある子、病気のある猫に目が行き、 「うちの子」の変化に気付かずに時が経ち、 気づいたら手遅れの場合が多い。 二年前のあずきのときも、一昨年前の桃のときもそうでした。 わたしはまた、その轍を踏んでしまったのです。 猫を知る方なら、この後ろ姿に違和感を覚えるでしょう。 いわゆる「香箱」座りを猫がするとき、 このように足がバッタみたいになってるわけですけど、 こんなにとんがった足、なかなかないです。 この写真と下の写真、比べてみると いかに顔も痩せているかおわかりになると思います。 ただ年取って痩せているのではない感じ。 病院で血液生体検査などしても、特に異常はなし。 総合病院で深く調べることも相談しましたが、 だからってどうなるものでもないといったような診断でした。 また、高額医療は当方では受けられません。 それでも、眼光だけは変わらず鋭い奈々でしたが、 元気(一見)なので、早く気づいてやれませんでした。 だんだんに、こんなふうに痩せて、 死んだように寝ていることが多くなっていました。 危ないかもしれないと思ったときには、 既に病院に連れていくこともできませんでした。 一応先生に相談し、 オヤジがバイクで何度か、点滴剤だけもらいに行き、 毎日、家で点滴と強制給仕をする毎日が 昨年、寒くなるころから始まりました。 この年末を乗り越えられるか、 と思っていましたが、 ついに、オヤジの冬休みに入ることから 起きられなくなりました。 起きられなくなった奈々を、 ひかりはもちろん、かおるがなめてやっていました。 おかげで、最期の最期まで、そんなに汚くなりませんでした。 本当に最期まで、大きな目、 奈々のいつもの、強い眼光で あたりをじっと見据えていました。 いよいよ最期か、となってきたときには リビングに布団を敷いてやって寝かせていましたが、 尿はそこで垂れ流したりせず、 最後まで、自分でよろよろ立って、トイレに行きました。 12月24日の夜から痙攣が始まり、 いよいよ、朝には亡くなっているかと覚悟しましたが、 25日の朝になっても、まだ息がありました。 掃除などしながら、ちょくちょく奈々を看ていましたが 11時20分過ぎ、 死んでいるのがわかりました。 奈々の亡きがらを一旦箱に入れてやりましたら、 ひかりがそばに入ってきました。 無理に出さず、一緒にしておいてやりました。 新之介も入ってきました。 ひかりにしても、かおるも新之介も、草太にしても、 誰も、奈々に直接「育てられた」子猫だったわけではありません。 ただ、自分がこの、なな猫さんの家に保護されて連れてこられたとき 大人の猫は、まだ奈々だけでした。 野良で生まれ、野良猫の母猫から引き離され、或いは迷って、 人間の家に初めて連れてこられたとき、 ひかりたちにとって、奈々は猫のお母さんでした。 そのお母さんと、みんなで別れを交わしているようでした。 一度も子供を産むことはなかった(させなかった)奈々ですが、 思えば、たくさんの子供たちを世に送り出してくれた。 そんな気がします。 いつも、こんなに奈々のそばにいてくれたひかり、 奈々が死んだあと、探すのではないかと心配していましたが、 ひかりは意外に、そういうことはしませんでした。 亡きがらの箱に自分も入ることまでして、 十分な別れができたのかもしれません。 いま、ひかりはわたしに、前より甘えるようになりました。 太ってきたのもおわかりでしょうか。 「ひかりの猫のお母さん死んじゃったね」 とわたしは言います。 「もう、人間のお母さんだけになっちゃったね」 ひかりはただ、ゴロゴロいってわたしに甘えてくれます。 実は、奈々が死んだ翌日は、 こうしてかおるが部屋中を探し回っていました。 なー、なー、と大きな、すごく大きな声で啼きながら、 上のほう、下のほうを見ながら、 本当に探して歩いていました。 声を聴いているのが悲しかった。 奈々を、あずきや桃や陸ちゃんが眠る、 うちの小さい庭の隅に埋めてやり、 あれから1か月も、あっという間に過ぎてしまいました。 あずきや桃のとき、わたしは声を挙げて泣きました。 奈々が死んだとき、泣けませんでした。 15年。 ずっと、この活動のてっぺんで、わたしとオヤジと 来ては去る、保護猫たちを見ていてくれた奈々。 そのことを思うと痛みを感じますし いまようやく、わたしの目を涙が濡らしています。 元気だったとき、こんなおかしな寝方が得意だった奈々。 完全にカオをぐっと下に付けて爆睡。 こうやって庭の網に上り、 何度も何度も脱走活動を繰り返した(^_^;)奈々。 これは奈々の、精一杯の主張だったんでしょう。 自分のあとにどんどん増える保護猫、 そのことを、決して喜んでいた奈々ではなかった。 何度も脱走し、10年以上の間、毎日、一日中絶叫し、 あたしは面白くない!あたしはさびしい!あたしはここに居る! と、わたしに訴えていた奈々でした。 それがわかっていながら、 わたしは奈々に我慢してもらい、 100匹以上の保護猫たちを家に迎え、 里親さんたちに引き合わせて送り出す活動をしてきました。 そして、腸炎や細菌感染で何度も入院するわたしを、 こうして玄関で、だれよりも、どの猫よりも早く 一番に飛んで出迎えに来てくれた奈々でした。 奈々、ごめんね。 そして本当にありがとう。 奈々はいつまでも、HOMEなな猫ほーむのホームページ巻頭を飾る、 永久欠番の最強ワンダーウーマン猫です。 さよなら、奈々。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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