村上春樹とクラシック音楽の歴史観
(この日記は9月1日に書いています)■新潮社の季刊誌『考える人』2007年春号は、特集「短篇小説を読もう」。ここに「村上春樹氏への15の質問」というのがある。編集側が村上春樹にEメールで質問し、村上春樹がそれに返すかたちになっている。■村上春樹が偏愛する作家の短篇小説を中心に、15の質問がなされており、それに対する村上春樹の回答も楽しく読める。ただし、どうしても気になったのは、彼が、各作家の個性を語る際に、クラシックの作曲家に喩えていること、および、クラシック音楽に関する、村上春樹の歴史観や作曲家像が、明らかに間違っていることである。■まず一つ目。フィッツジェラルドの短篇と長篇について聞かれた箇所で、村上春樹は、短篇は生活のため、長篇は自発的に書いた、としている。だからフィッツジェラルドは短篇を 営業政策上ハッピーエンドに しなくてはならなかったけれどと書いた上で、 モーツァルトが長調の作品ばかり 作らされたのと同じですとしている。しかしこれはどうだろうか?■モーツァルトに長調の作品が多いことは事実だが、これは作品が書かれた目的や状況によろう。交響曲が何のために・誰のために書かれたのか?ピアノ協奏曲が何のために・誰のために書かれたのか?ということを考えれば、それは単純に作らされたとはいえないと思う。あるいは、「作らされた」という、モーツァルトの言説が残っているのだろうか?■もうひとつは、カーヴァーが長篇小説を書かなかった理由を聞かれて。村上春樹はそれを「体質的なもの」とする。そして、こう書く。 たとえばガブリエル・フォーレや、 クロード・ドビュッシーが 交響曲を作曲しなかったのと同じように。これは完全な誤り。フォーレもドビュッシーも、もし本人がそのまま18世紀末から19世紀に生き、ドイツやオーストリアで作曲活動しようとすれば、否応なしに交響曲を書いたはず。(どちらの国も当時はないけど)作曲家として生きようとするならば、本人の体質も何も関係ない。逆に書かなかったのは、本人の体質ではなく、19世紀後半とフランスだからこそである。■また むしろ、ベートーヴェンやらモーツァルトみたいに、 何もかもできるという人の方が珍しいかもしれない。とも書いているが、これも誤り。あの時代とあの地域において、作曲家として活動するならば、幅広いジャンルに作品を残すのは当たり前のこと。この時代、作曲に関しても、需要と供給のシステムは成立しているのである。両作曲家に埋もれた作曲家たちだって、幅広いジャンルでちゃんと作品を残している。■とはいえ、 リヒャルト・ワグナーが弦楽四重奏曲を 作曲しなかったように。というのは、ある程度当たっていると思うが、これも、ベートーヴェン以後、弦楽四重奏曲というジャンルの位置付けが、大きく変わったからというのが大きいだろう。まあ、クラシック音楽の素人に突っ込んでもどうしようもないのだが(^_^;)