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カテゴリ:乗り鉄
最後に稚内駅を訪れたのはすでに15年以上前となる。札幌駅からの夜行列車がなくなって久しいが、今回は札幌から稚内行の夜行バスで早朝の稚内駅にたどり着いた。
稚内駅のバス停で降車し、さて駅に向かおうと辺りを見渡してみるが、見慣れた稚内駅の駅舎がない。一体とこに行ってしまったのか、少し戸惑ったが新しい駅舎に変わったことは知っていたので、程なく稚内駅を見つけることができた。 調べてみると新しい駅舎は、2011年完成となっていたので、新駅舎の利用は初めてである。線路ももっと北側に延びていたが、新駅舎は100mほど南に移動したそうだ。大きな駅舎にみえるが、実際JRが使用しているエリアは写真の建物の左側のほんの一部であり、高齢者住宅等の複合施設となっている。夜間滞泊のJR職員が仕事を始めたのは、始発列車が発車したあとであった。もうこれ以上の合理化はできないほど厳しい状況がうかがえる。 車止めの先にはかつては樺太の大泊までの稚泊航路が就航していたため、このさきの防波堤まで線路が延びていた。現在残っている線路は、かつてのものではないらしいが、良い雰囲気である。 みどりの窓口の営業は6:10~となっている。始発列車は、5:21の名寄行である。 夜行バスがかなり早着したため、本来乗ることができないはずの、始発の名寄行き普通列車に乗ることもできたが、このあとの6:36発、旭川行き特急サロベツ2号の指定券を持っていたため、始発列車はホームで見送ることにした。 始発列車の名寄行、車端部に行き先表示はなく、車体側面のサボに行き先が掲示してある。この列車でも終点の名寄でサロベツ2号に乗り換えれば、札幌駅までの到着時刻はかわらない。 サロベツ2号。新型コロナウイルス感染症が収束したため旅客数が改善しており、基本編成は4両であるが、堂々の6両編成であった。 稚内駅に初めて訪れたのは1988年3月の中学3年の春休みであった。廃止前の天北線経由稚内行の急行天北から降り立った。それから35年経過した。以来、何度も訪れているが、意外と写真などの記録が少なく、1990年代の急行宗谷の写真と、小高い丘から眺めた稚内の港の写真が見つかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.29 12:49:25
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