|
カテゴリ:日々の思い
鏡に映る自分の顔を見て時々びっくりすることがあります。 それほどいい男であるから、 といいたいところですが、そうではありません。 ちなみに、びっくりするほどひどい顔だから、でもありませんから。えぇ。 自分の顔ってこんなんだっけ?と思うからです。 それはもしかすると、自分の声を聞いたときに 違和感を覚えるのと同じなのかもしれません。 (自分の声がお好きな方というのはそういう感覚を持たないのかもしれません。 あるいはカラオケ等で鍛え、慣れている方も) それと同じように、自分が考えている自分の顔と 鏡に映った自分の顔の違いにびっくりしたということでしょうか。 イギリスの小説家オスカー・ワイルドの小説に ドリアングレイの肖像がというのがあります。 背徳と快楽の生活に溺れた美青年ドリアン・グレイが肖像画を描かせたところ、 自分の顔はずーとそのままで、肖像画の方に変化が現れるようになります。 自分の醜い部分、魂の軌跡すべてが肖像画に記されることになります。 主人公はどんどんと醜くなっていく自分の肖像画を見るのに ついには耐えきれなくなって、肖像画にナイフを突き刺します。 そして自分も死んでしまいます。 まさか、それと同じ気持ちで自分の顔を見つめているということはないと思いますが、 どうも、体についている自分の顔と自分の心というか魂についている顔とは、違う気がするのです。 それとも、単に自分の顔を忘れていたということでしょうか? そんなことってあるのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|