「IFエピソード5」
「こんちわー、三河屋でーす」 三河屋酒店の三郎の声が磯野家に響いた。舟はあわてて、勝手口へ向った。「いやー、すごいですねー。かもめ高校、甲子園出場ですよ」つい先程、テレビで地元のかもめ高校の甲子園出場決定の試合が放送されたところだったのだ。「そうね。中島くん、すごかったわね。うちの勝男も野球を続けていたらあのくらい活躍できたかしらねー」試合は1年生の中島の逆転サヨナラホームランという劇的な幕切れだったのだ。「そりゃ、そうですよ、泣く子もだまる中学日本一の4番打者ですからね、今から復帰しても遅くはないと思いますよ」ホームランを打った中島は磯野家の長男、勝男の昔からの野球仲間だった。中学の頃は中島、磯野のクリーンナップで全国優勝を達成し、勝男に対する期待も大きかったのだが、その後の試合で勝男は膝を故障し、野球は諦めたのだ。「そうよね。あの子ったら最近、ロクに学校にも行かないで友達のうちで遊びほうけているようなのよ」「西原さんのとこですよね。あそこの坊っちゃんも、せっかくいい高校に入ったのにねぇ、悪さしてなけりゃいいんですけどね」 今日は特別注文するものはなかったのだが、三郎には別の用事があった。「そうそう、サブちゃん、最近、タラちゃんの様子が変なんだけど、何か知らない?」「そうですねぇ、直接の理由かどうかわからないんですけど、最近、タラちゃんの好きな音楽の先生が突然辞めちゃったみたいなんですよ」 三郎は町内の事情に詳しい。舟もたびたびその情報網を利用していた。「あら、どうして辞めちゃったのかしら?もうすぐ夏休みの、こんな時期に」「それもそうですねぇ、一学期の終了と同時に辞めるんならまだわかりますけどねぇ。何か事情があるのかもしれませんね、調べてみますよ」「ええ、面倒だろうけど、よろしくおねがいするわ」「いえいえ、磯野さんあっての三河屋ですから、何でも申し付け下さい」そういうと、三郎はバイクに乗って去っていった。 数日後。 「こんちわー、三河屋でーす」三河屋の三郎だ。暑いのにご苦労なことだ。「いやー、負けちゃいましたねー、かもめ高校」「そうねぇ、残念だったわ」かもめ高校は甲子園の一回戦で敗退し、姿を消していた。「勝男君がいれば、打線が繋がっていたと思うんですけどねぇ」「あの子ったら、まだ西原君の所に出入りしてるのよ、どういう仲なんでしょ」舟は半ばあきれ声だった。あの勝男のことだから、勉強してもしなくてもテストの点数は同じだろうからもう諦めていたのだが、こうずっと入り浸っているのは先方にも迷惑がかかるだろうと心配ではあった。「それがですね、西原君となにやらよからぬことをしているようなんですよね。もちろん、いつかの橋本君みたいに勝男君を巻き込むなと、くれぐれも釘を刺してはおきますけど」「そう。お願いするわね。それと、このまえのタラちゃんの件はどうだったかしら」「それがですね、タラちゃん、何者かにいじめられてたようなんですよ」三郎の声のトーンが変わった。「何者かって?クラスの子?」「どうやら、担任の甚六先生にやられていたらしいんですよ」多良雄の担任は舟もよく知っている人物だった。隣の伊佐坂さんの息子、甚六だ。浪人してかなりいい大学に入ったのに教師になるなんてもったいない、とはよく言われていたのだが、やはり何か問題のある人物だったのだろうか。「で、そのことを音楽の先生に相談したようなんですが、その翌日に、その先生が退職したらしくて、どうも匂うなぁと思って更に調べたんですよ」「そうね、それは気になるわね。で、どうだったの?」「その音楽の先生、甚六先生の女だったみたいなんですよ。で、タラちゃんの件を問いつめたらしいんです、そしたら、甚六先生に暴力を振るわれたらしく、それ以来、人間不信になったとかで、翌日電話で学校に辞めるといったきり、実家に帰ってしまったようなんですよね」「なんてことなんでしょ、甚六さんが担任だって、喜んでいたのに、そんな人だったとは、学校に文句を言わなければ行けないわ」「結局のところ、甚六先生がどうしてタラちゃんをいじめるようなことをしていたのかはわからずじまいだったんですけどね…」 ジリリリリリ~ン!奥のほうで電話のなる音が聞こえてきた。「あ、電話ですね。それじゃ、もう少し調べてみますよ」「ええ。お願いね」 舟は急いで電話を取った。 電話の内容は数年間行方不明だった舟の娘婿、増男が殺人容疑で逮捕されたという、ショッキングなものだった。 詳しいことはまだこれからということらしく、何にもわからないのだが、とりあえず、明日にでも拘置所へ面会に行くことにした。 翌日。 舟にとって珍しく忙しい日だった。予定していた拘置所へ行く直前に電話が鳴り、小学校へ呼び出されたのだ。電話では話すことの出来ない内容なのでどうしても会って話がしたいということだった。そこで、拘置所には長男と二女を代わりに行かせ、着替えなどを持たせた。慌ただしい思いをして行った学校だったが、校長先生に直々にコード273が発動されている。ということを言われ、舟は自分の出る幕ではないということを悟り、引き下がった。 帰宅後、すぐに三河屋の三郎が顔を出した。「聞きましたよ。増男さん、見つかったそうじゃないですか」「ええ。でも、まだ拘置所なの。勝男たちが帰ってくればなにかわかるかもしれないけど、詳しい情報は何も入ってきてないのよ」「それは気がかりですね。何かの間違いだと思うんですけどね。それより、勝男君の友達の西原君、自首したそうですよ」「自首?やっぱりなにかやってたの?」「詐欺まがいのことみたいですね。パソコンを使って。最近のそういう犯罪は全然わけがわかりませんよ」「そうねぇ。それと、タラちゃんの話はコード273ですって」舟は学校で聞いたことを三郎に話した。「そうですか。それなら我々の出る幕じゃありませんね」コード273が何を意味しているのか三郎も知っているようだ。「そうねぇ、あの人も何か考えがあってやってるのでしょうね。校長先生の他に文部科学省だの、外務省だのの役人も来ていたようだったわよ」「そんな奴らが動いてるなんて、僕が探っているのがバレたんでしょうかね」「それはわからないわねぇ。あの人たちの世界は私にはさっぱりよ」「それじゃ、そっちの方はこれで終わりにしときますよ。あまり深く突っ込みすぎると三平さんみたくなっちゃいますからね」 三平とは三郎が勤める前に三河屋の従業員だった人物である。田舎に帰ったということになっているのだが、見てはいけないものを見て何者かに消されたという説も一部では流れていたことがある。「そんなの噂よ。きっとどこかで元気にしているはずよ」「だといいんですけどね。三河屋という屋号とか、今やってることとか、関われば関わるほどなんか普通じゃないって感じるようになってきたんですよね」 そういうと三郎はあたりを気にしているようなそぶりで去っていった。「ふぅ。あとは増男さんね…」 そうつぶやくと舟は夕飯の支度を始めた。 今日も専業主婦の苦労は尽きない。おわり