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カテゴリ:立ち読みの友
こんばんわ~、ニコライです~。(この日記の登場人物)
海開きの後、こんな天気じゃ、うかうかしてると、すぐにクラゲシーズンだや。 なんてこったね、今日の雨は本格派だよ。 ところで、今日明日は、ノジヲの職場の夏休み一般公開ディなんだけれども、 様子はどうかぃ? (;¬_¬) 妙に静かなんだな、これが・・・。 明日はなんとか天気が持つと良いんだがね。 日食もダメ、公開日もダメ、、、 そんな天文年って、ないじゃん、とほほだね。■世界天文年2009(公式サイト) 昨日は、日記をお休みしてしまったが、 実は、ウニやんが、ずっと一日中、ソファーに寝そべって本読んでたんだ。 図書館では、まとめて4冊借りてきたからね。 昨日読んでたのは、ガルシア・マルケスの『族長の秋』だよ。 ■族長の秋 / G.ガルシア・マルケス あと、最後の1章が残ってるらしいけど、もう5分の4は読んだのだ。 なにげに、ウニやんは字を読むのが早いのだ。 2段組みの230ページ。かなり充実度だよ。 しかも、前回ご紹介した『予告された殺人の記録』は、 大衆小説として書いたらしいんだが、 『族長の秋』(El Otono del Patriarca)は、それよりも昔に書いた小説で、 形式は『百年の孤独』(Cien An~os de Soledad)に近いんじゃないか? てか、出版社が同じなんだよね。 これも、原書が図書館にあって、パラッと目を通したんだが、 何がシンドイってさ、この人(ガルシア・マルケスさん)、 1章、段落替え無しなんだよっ! なに、このゴリゴリの修辞学はっ! しかも、文脈から類推させるような一人称を多用している。 読み難いったらねぇ、てか、訳した人エラすぎるっ! というのが、ウニやんの第一感想だよ。 スペイン語はさぁ、主語無しで、動詞の活用から主語を割り出す、 ってとこがあるからね、あぁ一人称が多いと、、、 「自力で、原書を読んでたら、どうなってしまったんだろう?」 違う話になったりして・・・。(^^;) まず、「わたし」っていう語り手てか、観察者がいて、 主人公の族長(大統領)も「わし」と名乗りつつ、地の文で語り、 族長について語る人々も女性だったり男性だったり、 いっぱい出てくるんだけど、地の文で「わたし」を名乗るんだよ。 こりゃ、難解じゃ、困ったじゃ。 しかし、そこんとこを、この訳者は、巧いこと話し言葉にキャラ分けをして、 読者の苦労を和らげてくれる。感謝、感謝!である。 ま、そんなわけで、『百年の孤独』より若干薄い『族長の秋』ではあったが、 スペイン語で読まなくて大正解であった。 内容は、あるカリブ海に面した国の大統領の話。 独裁者の孤独の話だよ。 1)瓜二つの影武者の話 2)貧民街の美人に入れ込む話 3)母ちゃんの話 4)拉致した正妻の話 5)奇跡の男~大統領の死 という具合に、 常に、現実と虚構の裏表を行き来するような感じで、 民衆側の目(わたし)、独裁者の独白が、 交錯しながら、綴られるわけだ。 ウニやんは、読みながら、完全に、近隣の某国を連想していたようだ。 特に3章目の「母ちゃんの話」の顛末に見る、大統領の悲しみと嘘、 ジーン(T◇T)と来たし、ガーン( ̄□ ̄;)と来た。 段落無しで、会話カッコなしに、ダラダラひたすらダラダラとした文章なんだが、 (あれでも、訳者は、長い一文を分割して日本語化してると思う) 根底にある物語に魅かれて、ついつい読み続けてしまった。 ただし、ウニやんには大不評な「ダラダラ文」なのであるが、 ガルシア・マルケスが、一時期日本の文壇に非常に評価された一因には、 おそらく、この発狂したくなるほどの超絶スペイン語的修辞学 もあるんじゃないかと思う。 複数人物による会話体でない一人称も、日本人からすれば画期的だ。 一人称の語り手が不明確だから、幻想的で魔術的なイメージを与えるんだろう。 ともあれ、スペイン語圏の人はクドイ。 こういう文学に触れると、確信するね。 ガルシア・マルケスさんの描く世界は、 あのムワッとした蒸し暑さ、小鳥の騒音、ケバイ極彩色、 家畜と埃と糞尿の匂いまでもを、 類似した情景描写を何度も何度も繰り返して、読者にインプットして、 (おそらく原文では、類似描写に同意語を駆使していると思われる。) 「こんなとこにいたら、体を壊してしまふ・・・」 と、思わせるから恐ろしいよね。|||||| 『族長の秋』より更に長編の『百年の孤独』は、どうなんだろう? とりあえず、貸出予約は入れといたんだ。 『族長の秋』を読んで、ウニやんは、 「国家と政体」について考えてしまったようで、 読み方を間違えたかもしれん・・・。 けれども、この大統領は、特定の誰かではなくて、 植民地支配から解放されて以降のラテンアメリカ歴代の独裁者たちの合成像で、 大統領の、気持ち悪くなってくるような老いぼれ具合や、 生き永らえてるだけの125~200歳くらいという設定の物語は、 およそ現実的ではなく、遠い時代の神話のような感じがするのだ。 くだくだ述べてきたが、結論を言えば、この本は、 スペイン語圏のクドサに耐えられる辛抱強い人にしか勧められん。 同じフレーズが、100ページ毎くらいの間隔でリピートされるんだ。 同じシーンも、何度も出てくる。だからストーリー自体が幻影みたいなんだ。 疲れるよ、結構。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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