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カテゴリ:ちょっとそこまで
ちょっとそこまでと言うだけの距離ではありませんし、大阪勤務時代からこの存在は知っていましたが、当時はゴルフに入れ込んでいたので、花の絵と言っても六甲山植物園に行って撮るくらいでした。今回はたまたまホテルの宿泊割引券をいただいたこともあって、その合間に行ってみたのです。
月ヶ瀬梅林は奈良盆地と伊賀盆地の境に広がる大和高原の北側、京都・三重・奈良府県境付近に位置する。奈良市中心部からは東に約30キロメートル、三重県伊賀市中心部からは南西に約12キロメートルの距離にある。大和高原北側の府県境付近は木津川水系名張川の渓谷が続いており、特に月ヶ瀬梅林のある名張川下流域は五月川と呼ばれ、深いV字谷を形成している。 月ヶ瀬梅林はこのV字谷の斜面に広がる梅林である。「月ヶ瀬梅渓」と呼ばれる所以となった雄大な渓流は高山ダムの完成(1969年)によりダム湖の底に沈んだが、近年はその月ヶ瀬湖の湖水と梅林が調和し、新たな景観を形成している。 月ヶ瀬梅林は海抜200メートルから300メートルの高原である。高原の影響を受けるため、月ヶ瀬梅林に生育する梅の開花期は奈良市中心部よりも半月ほど遅れ、3月の中旬から下旬に満開となることが多い。 明治時代に入る頃まで月ヶ瀬は烏梅(若い梅の実の燻製。紅花染めに必要な材料。)の一大生産地であり、月ヶ瀬梅林は烏梅の原料となる梅の実を収穫する用途で規模を拡大していった。最盛期の江戸時代には約10万本の梅の木が成育していたとされる。 20世紀に入ると合成染料の発達により、烏梅はほとんど生産されなくなったため、月ヶ瀬梅林は観光資源として利用や食用の青梅の栽培に軸足を移した。・・・wikipedia かなり古くから開けた場所だと言うのは感じましたが、桜追人のたそがれさんとしては物足りない半日だったので、それから「めだか街道」にまで足を延ばして、まだ時期ではありませんが、10匹ほどの稚魚を分けていただいてきました。 写真00001 posted by (C)たそがれの写真家 写真00004 資料館 posted by (C)たそがれの写真家 写真00006 テラスから posted by (C)たそがれの写真家 写真00009 展示品 posted by (C)たそがれの写真家 写真00013 posted by (C)たそがれの写真家 写真00019 対岸の梅 posted by (C)たそがれの写真家 写真00022 お茶の栽培も盛ん posted by (C)たそがれの写真家 写真00025 posted by (C)たそがれの写真家 写真00028 posted by (C)たそがれの写真家 写真00030 posted by (C)たそがれの写真家 写真00034 posted by (C)たそがれの写真家 写真00037 枯れ木に咲く posted by (C)たそがれの写真家 撮影 2020年03月09日 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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