中庸に生きる
グラウンディングとは、文字通り地に足をつけるということです。スピリチュアルな道を歩み始めるきっかけとして、この三次元があまりにも辛いために、何かを求めている過程でこの道にたどり着くということもあります。その場合、現実を直視しないまま長い間過ごすことになり、少しは楽になるものの結局はこの三次元を楽しみきれないということも往々にして起こります。目指す場所が中庸な場所であれば、自ずとこの三次元に引き戻されるような物事も起きたりしますし、きっかけはどうあれ、いずれにせよこの肉体にいる自分と向き合う時期が訪れます。 私達は経験するためにここにいます。現実に目の前にある事柄をそのまま経験することはとても大切なことです。そして、それは悲しみや怒り、そして深い感情を感じる、もっといえば感じ切ることも本当はここにいる意味の一つです。感じきるということは、感じるということを自身に許すことでもあります。もし、怒りを感じることを逃避する自分がいたとしたら、それは怒りというものに罪悪を感じているか、怒りを感じる自分を受け入れていない、またはその前にしっかりグラウンディングできていないためにそれができないということもあります。感情を感じ切ることができなければ、その感情はいつまでもそこに残ります。そして、また同じ感情を感じるチャンス(ここではあえてチャンスと言いますが)がやってくるでしょう…感じることを感じ切り、そしてそれを表現することを許す…これはこの道ではとても大切なことです。そして、それをやりつつなぜ、その感情が起きたのか、その根本を見つめて手放していけばいい…これを行うと、同じようなことでまた感情が揺さぶられることはなくなります。人生に平穏さ、静けさが訪れます。つまりこれはバランスです。ここにいる時の理想の状態はスピリチュアルな意識を持ちつつ、地に足をつけて三次元をしっかり体験しながら、そのバランスの中にあることだと考えます。スピリチュアルな意識はよく「天」として例えられますが、天と地の中間にバランスよく存在することこそ、本当の意味の幸せを感じていく一つのポイントだと感じます。地に足を着ければ着けるほど、それと同じように天ともつながっていく…また完全にグラウンディングした時には宙に浮くとも言われています。中庸(中間)の場所に居られれば、この世に生きながらもこの世から支配されることはありません。正にこの世に生きながら、別の空間でに生きられるのです。