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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

「蜻蛉(かげろう)日記」を研鑽-9



「今までよりも急いで返事を書いた」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



道綱が例の大和の女へ送った歌。
夏山の 木のしたつゆの 深ければ かつぞなげきの 色もえにける

夏山は木の下露が深いので 青々と茂る一方 木々を燃えるような紅葉に
染め上げます わたしもあなたを思う涙で赤く燃えています。



大和の女から道綱へ歌の返事が来た。

露にのみ 色もえぬれば ことのはを いくしほとかは 知るべかるらむ

露のみだけでこんなに燃えるような色になるとしたら あなたの調子の
よいお言葉は何度染め上げたと理解したらいいのでしょうと言ってきた。



私が夜中まで起きている時に、あの人から珍しくこまやかな手紙が来た。
二十日以上も経っていて、ずいぶん久しぶりな手紙だった。

こんな呆れた状態には慣れているので、今さらなにを言っても仕方がないし、
なにも気にしていない態度をとりながらも、手紙を読む手は震える。



あの人がこんな手紙を寄こすのも思い悩んでいるからだと一方では思うので、
ひどく気の毒な気がして、今までよりも急いで返事を書いた。

その頃、地方歴任の父の家がなくなったので、わたしの家に移って来て、
親類が大勢いて、なにかと騒がしく過ごしたが、あの人から連絡がなかった。


「人ごとのように聞いていた」



七月十日過ぎになって、来ていた父の家の人たちが帰ってしまったので、
家の中がガランとして、ひっそりした感じだったが、それも束の間で、
お盆のお供えの品をどうしようなどと、いろいろ心配する侍女たちの
ため息まじりの話し声を聞くと、悲しくもあり、不安でもある。



十四日に、あの人は例年のように供物を調え、政所の送り状を添えて
届けてきたが、このような配慮がいつまで続くのだろうと密かに思った。
そして瞬く間に八月になった。時雨のような雨で、午後二時過ぎに晴れた。
暑さが時雨で涼しく感じたが、ツクツクボウシが、うるさいほど鳴く。



かしがまし 草場にかかる 虫の音よ われだにものは 言はでこそ思へ

草場を頼りに生きている虫の音がうるさい 悲しいから鳴いているだろうが
わたしだって泣きたいけれど 口には出さないで嘆き悲しんでいると口ずさむ。
何かに追われているような気持ちで、妙に心細く、涙が浮かんでくる日である。



お告げの中に、来月に死ぬかも知れませんとあり、今月なのだろうかと思う。
相撲の節会のあとで、近衛大将が自邸で配下の人々を召して饗応すると
騒いでいるのを、人ごとのように聞いていたが、八月も十一日になった。



「ご自分の手で書いた手紙を下さい」



あの人から、思いがけない夢を見たので、とにかくそちらへ行きたいなどと
例によって信じられそうもないことが多く書いてある手紙が届く。

暫くして、あの人が来て、わたしが何も言わないでいると、あの人は、
どうして何も言わないと言うが何も言うことはありませんと答える。



どうして来ない、どうして便りをくれない、憎らしい、ひどいと言って
いっその事、ぶったりつねったりすればいいと立て続けに言われる。

言いたい事は全部おっしゃったようですから、それ以上なにもと言って
翌朝、宮中での相撲の節会の世話が終わったら来るよと言って帰った。



十七日に、相撲の節会があると聞く。八月も月末になったのに、
約束した相撲の節会も終わってずいぶん経ったのに連絡もないまま、
今はなんとも思わないで、慎むようにと言われた八月の日々が過ぎていき、
死期が近くなったのをひたすら心細く思いながら日を送った。



道綱は、例の大和の女に手紙を送る。
これまでの返事が、自筆のものとは見えなかったので、恨んだりして、

夕されの ねやのつまづま ながむれば 手づからのみぞ 蜘蛛もかきける

夕方の寝室の隅々を眺めていると 蜘蛛もじぶんの手で巣を作っています
あなたはどうしてご自分の手で書いた手紙を下さらないのでしょうと。



「あなたの手紙は真っ白で何も書いてなく」



夕されの ねやのつまづま ながむれば 手づからのみぞ 蜘蛛もかきける

夕方の寝室の隅々を眺めていると 蜘蛛もじぶんの手で巣を作っています
あなたはどうしてご自分の手で書いた返事を下さらないのかと送った。



道綱が送った手紙をどう思ったのだろう。
返事は白い紙に何か先の尖ったもので書いてある。

蜘蛛のかく いとぞあやしき 風吹けば 空に乱るる ものと知る知る

蜘蛛って風が吹くと空に散ってしまうと知りながら 糸をかけるのですから
どこかに散らされてしまう手紙なんて わたしに書けませんと。



道綱は折り返し、手紙に歌を詠み送った。

つゆにても 命かけたる 蜘蛛のいに あらき風をば 誰か防かむ

はかなくても蜘蛛が命をかけて作った巣に吹く荒い風を わたし以外の誰が
防ぐのでしょう わたしはあなたの手紙をなくしたりはしません。



次の日、道綱は昨日の白い手紙を思い出したからだろうか、また歌を送る。

たぢまのや くぐひの跡を 今日見れば 雪の白浜 白くては見し

但馬の雪の白浜に舞い降りた鵠の跡でもないのに あなたの手紙を今日
拝見したら 真っ白で何も書いてなく ぜひ筆跡を拝見したいと送った。


「ただその一言が最初で最後だったのですね」



道綱が大和の女へ手紙を送ったが、外出中という事で、返事がなかった。
次の日に、取次の女性に、お帰りなのですか、手紙の返事をと、
口頭で催促したところ、昨日の歌は、とても古めかしいので、
お返事できませんと取次の女性に言われてしまった。



また次の日、先日の歌は古めかしいとか。本当にその通りですと言って、

ことわりや 言はで嘆きし 年月も ふるのやしろの 神さびにけむ

古めかしいとおっしゃるのももっともです あなたへの思いを胸に秘めて
嘆いた年月が長く 布留の社のようにすっかり古びてしまったのでしょう。



などと書いて送るが、今日、明日は物忌ですということで、返事がない。
物忌が明けただろうと思う日の朝早く、

夢ばかり 見てしばかりに まどひつつ あくるぞおそき 天の戸ざしは

夢のように頼りなく途方にくれています 天の岩戸を閉じたような
あなたの物忌が明けるのが 待ち遠しくなりませんと書いておいた。



今度もあれこれ言い紛らわすので、また、

さもこそは 葛城山に なれたらめ ただ一言や かぎりなりける

さすがあなたは大和のお方 葛城山の一言主神(ひとことぬしのかみ)と
お馴染みだから 先日のただ一言が最初で最後だったのですねと送った。

それを聞き、若い人はこんなふうに歌をやりとりしているようだと思った。


「老けて恥ずかしい姿になっているので」



早いもので二月になった。紅梅が、いつもの年よりも色濃く、美しく咲き
薫っているのを、わたしだけが感慨深く眺めているけれども、特に関心を
持って見る人もいない。大夫がその紅梅を折って、例の大和の女に送る。



かひなくて 年へにけりと ながむれば 袂も花の 色にこそしめ

いくら恋してもなんの甲斐もなく、年が過ぎたと沈んでいますので
わたしの袂も紅梅の色のように 血の涙で紅に染まっていますと送る。

 

その文に対して返事が返って来た。

年を経て などかあやなく 空にしも 花のあたりに たちはそめけむ

長い間 あなたはどうしてむやみにわたしを恋したりなさったのでしょう
紅の涙で袂をお染めになっても無駄なことですと文の中で言ってきた。



待っていた返事を、いつもながらの気のない歌だと言いながら見ていた。

月初めの三日頃になり、午後2時頃にあの人が見えた。
老けて恥ずかしい姿になっているので、昼間に会うのはとても辛い。
どうしようもないことだが、しばらくして、方角が塞がっていると言う。


「いつもと違うので変な気がしていた」

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あの人が着ている衣装は、私が染めたのではないが、輝くばかりの
桜襲(さくらがさね)の綾(あや)で春に用いる。表は白、裏は赤花で
こぼれそうな浮文(うきもん)になっている。下襲に、つやつやとした
固文(かたもん)の表袴(うえのはかま)をつけて、あの人は、
牛車に乗り、遠くまで聞こえるくらい先払いの声をさせながら帰って行く。



固文とは紋様を、糸を浮かさないで、固く締めて織り出した織物である。

その先払いの声を聞きながら、あの人を見たあと自分の身なりを見ると
着古してよれよれになっていて、鏡を見ると、酷く憎らしそうな表情である。
私が見た顔の表情を見て、今度もまた、私の事が嫌になっただろうと思う。
このようなことを際限もなく思って沈んでいると、一日から雨がちになった。



春雨の 降らば思ひの 消えもせで いとど嘆きのめをもやすらむ

春雨が降れば 思いの火も消えるはずなのに 私の思いの火は消えないで
益々嘆きの木が芽吹くことだろうなどと思うと辛くなる心境になった。



五日、夜中頃に、外が騒がしいので事情を聞いてみると、以前に焼けた
あの憎らしい女の家が、今度は全焼したそうだと知り気の毒に思う。

十日頃に、あの人がまた昼頃見えて、春日神社に参詣しなければならないが
その間が不安だと言うのも、あの人はいつもと違うので、変な気がしていた。


「益々自分がみじめに感じていた」

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あの人がいつもと違う様子なので、少し変な気がしていたが、
春日神社へ参拝した後、何も言わずに私を送り届けて帰って行った。

三月十五日に冷泉院の小弓が始まるので、その練習で大騒ぎである。



先手組と後手組がそれぞれ別の裝束をつけることになっているので
大夫(道綱)のために、あれこれとその用意が出来てうれしい。

その小弓の当日になって、あの人は、上達部(かんだちめ)が大勢だった。
今年は盛大だったが、あの子は小弓を見くびって一生懸命でなかったと言う。



初めはどうなるかと思っていたが、甲矢(はや)、乙矢(おとや)二本とも
射当てて、その矢をきっかけに、次々と得点して勝ってしまったと騒いでいた。

それからまた二、三日して、道綱が二本射当てたのは素晴らしいと言って来た。
道綱の事がうれしくて自慢だと思うが、来てくれるので尚更わたしも嬉しい。



朝廷では、例年通り、その頃、石清水八幡宮の臨時の祭になった。
私は、どうせすることもないからと、こっそり出かけて車をとめると
格別華やかに、大げさに先払いをさせて来る者がいる。

誰だろうと思って見ると、あの人で、益々自分がみじめに感じていた。


「やはりお気持ちを伺いたいのです」

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あの人ではと気づいて見るにつけても、益々自分がみじめでならない。
簾を巻き上げ、下簾を左右に開いているので、車の中がはっきり見える。
私の牛車を見つけて、さっと扇で顔を隠して兼家は通り過ぎて行った。



あの人から手紙が来たが、その返事に、侍女たちが殿は昨日はとても
恥ずかしそうに顔を背けてお通りになりましたと話していますが、あれは
どうしてなのでしょうか。あんなふうになさらなくてもよかったでしょうに。
まるで、若い人のように扇で顔を隠すとは、訳が分かりませんと書いた。



返事には、あなたに私の老いた顔を見せたくなかったからだ。
あの仕草を顔を背けたと見てとる貴女が憎らしい などと書いてある。
あの人から、また連絡がなくなってしまい、十日あまりが過ぎた。
連絡がないのがいつもより長い気がするので、私の余計な一言だが
私たちの仲はいったい、どうなっているのだろうと思ってしまう。



道綱と例の大和の女との手紙のやりとりは、大人っぽくないし先方からも
年が幼いということばかり言ってくるので、こんな歌を送った。

みがくれの ほどといふとも あやめ草 なほ下刈らむ 思ひあふやと

水に隠れているあやめ草のように小さくても やはりお気持ちを伺いたいのです
わたしと同じように思ってくださるかどうか。返事は、気のないものだった。


「わたしの心はいつも燃えています」

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道綱があの大和の女へ送った文は、
みがくれの ほどといふとも あやめ草 なほ下刈らむ 思ひあふやと

大和の女からの返事は、気のないものだった。

下刈らむ ほどをも知らず まこもぐさ よにおひそはじ 人は刈るとも

わたしはあやめ草ではなく つまらない真菰草(まこもぐさ)です
いくら成長しても あなたの妻にふさわしくありませんと書いて来た。



道綱は何とかして大和の女の気持ちを引き出そうと考えているようだ。
このようにして日が過ぎ二十日過ぎにあの人が見えた。

二十三、四日頃に、近くでまた火事騒ぎがあり驚いて騒いでいたところへ
あの人が見えたが、風が吹いて燃え続け、火が消えた頃に一番鶏が鳴いた。



もう大丈夫だから安心しなさいと言ってあの人は帰って行った。

侍女が、殿が心配してお越しだったので、お見舞いに参上したことを
殿に申し上げてくださいと言って帰りましたと従者が言うのを聞くと
私たちばかりか、従者も晴れがましそうでしたなどと話していた。



いつも沈みきっているこの家の雰囲気を見ているからこそ晴れがましい
姿を見て、そんなふうに感じたのだろう。あの人は、また、月末頃に見える。
入って来るなり、この家から火事場が近い夜は、この家も賑やかだと言う。

えじのたく火の 昼は絶え 夜は燃えつつ ものをこそ思へ

あなたが守る衛士(えじ)の焚く火のように 昼は絶えいるばかりで 
夜は恋の思いに燃え続けて わたしの心はいつも燃えていますと答えた。


「何故どうして恨んでいるのだろう」

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五月の初めの日になったので、例によって、道綱が大和の女に

うちとけて 今日だに聞かむ ほととぎす しのびもあへぬ 時は来にけり

せめて今日だけでもあなたの気持ちを隠さないで聞かせてください 
ほととぎすもずっとこらえていましたが、公然と鳴く五月が来ましたと送った。



大和の女からの返事が来た。

ほととぎす かくれなき音を 聞かせては かけはなれぬる 身とやなるらむ

承知したとはっきり申し上げたら ほととぎすが公然と鳴くのは卯の花陰を
離れてしまうように 私はあなたに捨てられるでしょうと書かれていた。



五日に道綱は大和の女へ手紙を送る。

もの思ふに 年経けりとも あやめ草 今日をたびたび 過ぐしてぞ知る

あなたに中々逢えないのを悩みながら、物寂しい年を重ねたと 
菖蒲の節句(端午の節句)の日を何度も過ごして知りましたと歌を詠む。



大和の女からの返事には

つもりける 年のあやめも 思ほえず 今日もすぎぬる 心見ゆれば

どれほどの年が重なったのか わたしにはわかりません 今日もあなたは
ほかの女性に心を移してお過ごしになるように見えるのでと書いてある。

道綱は、何故どうして恨んでいるのだろうと、不思議でならなかった。


「どちらがいいか判定してほしい」

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(被写界深度を浅くF値4で撮影したので後ろがボケる)

あの人が来てくれなく物思いに沈む事は、この月も以前とあまり変わらない。
二十日頃に、遠くに旅立つ人にあげようと思うが、この餌袋の中に
内袋をつけてほしいと言って来たので、内袋を作っていた。



(被写界深度を深くしF値16で撮影したので後ろまでクッキリ)

そこへ出来たかなと来て、歌をその餌袋いっぱいに入れてくれ。あの人は
私はひどく気分が悪くて、とても詠めそうにないと言ってきたので
とてもおもしろく思い、ご依頼の和歌は、詠んだだけ全て餌袋に入れて
さし上げますが、こぼれ落ちてなくなるかも知れません。



なので、別の袋を頂きませんかと言ったが、二日後、うつむき加減で現れ
やはり、気分がひどく悪いし、別の袋を用意する時間もないから
餌袋に頼んだ歌を入れておくれと、仕方なく私の方で詠んだ歌を送った。
先方の返歌があり私の歌と返歌と、どちらがいいか判定してほしいと来た。



雨の中を届けて来たので、少し風流な気がして、期待して見た。
優劣はあるが、利口そうに批評するのもどうかと思い、このような歌を

こちとのみ 風の心を よすめれば かへしは吹くも 劣るらむかし

東風に風が味方しているので 返しの風に勢いがないように あなたを
贔屓(ひいき)して見るせいか 返歌が劣っているようですと書いて送った。


「冷たい文に黙って引っ越してしまった」

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六月も七月も、あの人はいつもと同じくらいの訪れで過ぎていった。
七月末の二十八日に、あの人は相撲のことで宮中にいたが、こちらに
来ようと思い、急いで退出してきたなどと言って見えた。



しかし、あの人は、それっきり八月二十日過ぎまでやって来なかった。
人伝に聞くと、例の女(近江)の所に頻繁に通っているとのことである。
あの人は、この短期間の間に、すっかり変わってしまったと思う。



正気もなく茫然と過ごしているうちに、住んでいる所はますます
荒れ果てていくのを見るにつけ、少人数でもあったので、他人に譲り
じぶんの家に引き取ろうということを、わたしの父が決めた。



今日明日には広幡中川(ひろはたなかがわ)の辺りに引っ越す事になった。
あの人には以前から、引っ越す予定だと、ほのめかしていたものの
今日転居することは知らせていなかったと思って、文を認めたが
あの人は、物忌で行けないと冷たい文を寄こし、黙って引っ越してしまった。


「私たちの仲も冷えきってしまった」

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引っ越した先は、山が近く、邸の一方が中川の河原に面していて川の水を
思いのままに引き入れてあるので、とても趣深い住まいと感じられる。
二、三日経ったが、あの人はわたしの転居に気づいていない。



五、六日ほどして、引っ越したのを知らせないとはとだけ言ってきた。
返事に、転居のことはお知らせしたと思いますが、不便な所ですので
お越しになるのは無理かと思って見慣れたあの家で、もう一度
お話ししたいと思っていましたがなどと、縁が切れたように書いた。



あの人から、そうだろうね大層不便な所だそうだからとあっただけで
それ以来連絡もなければ訪れもなく九月になったが、朝まだ早いときに
格子を上げて外を眺めると、邸内の遣水(やりみず)にも外の川にも
川霧が立ちこめ、麓も見えなく山が遥かに望まれる情景を見て



流れての 床と頼みて こしかども わがなかがはは あせにけらしも

夫婦の仲は絶えないと頼りにしてきたが 中川の水が涸れるように
私たちの仲も冷えきってしまったらしいと悲しい気がして口ずさんだ。


「手紙になにが書いてあったかわからない」

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東の門の前にある田の稲を刈り取って、束ねた稲が一面に掛けてある。
時々でも訪れてくれる人には、青い稲を刈らせて馬の飼葉にしたり
焼米(やいごめ)を作らせたりする仕事を、わたし自身熱心にしている。



小鷹狩(こたかがり)をする道綱もおり、何羽もの鷹が外に出て遊んでいる。
道綱は、相も変わらず例の女に手紙を送って気を引いてみるようだ。

さごろもの つまも結ばぬ たまの緒の 絶えみ絶えずみ よをや尽くさむ

あなたが恋しくて彷徨い出るわたしの魂は 衣の褄を結んで鎮めてくれる人も
いないので 宙に迷い 命も絶え絶えに一生を終わるかもしれませんと詠む。



返事は直ぐになく。また、しばらく経ってから

つゆふかき 袖にひえつつ 明かすかな 誰ながき夜の かたきなるらむ

涙に濡れた袖に冷え冷えとしながら夜を明かしています
誰がこの秋の夜長にあなたの相手をしているのでしょうと返事があった。



あの人の方は長い間来ないままだったが、呆れたことに使いの者が来た。
殿からこれを仕立ててくれと言って、冬の着物の反物が届いた。

使いの者は、お手紙がありましたが、実は落としてしまいましたと言う。
手紙になにが書いてあったかはわからないままだが着物を仕立てた。


「こざっぱりと仕立てることに決めた」

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届けてきた着物は仕立てたものの、使いの者が手紙を落としてしまい
何が書いてあったのか分からず、こちらから手紙はつけないで送り返した。
その後は、夢でもあの人を見ることもなく、足早に年が暮れていった。



九月の末にまた、殿が、着物を仕立ててほしいとおっしゃっていますと
今度は手紙さえつけないで、下襲(したがさね)を届けてくる。
どうしたらいいかしらと迷って、侍女たちに相談する。



侍女たちは、やはり、今度だけは殿の反応を見るために仕立てた方が
よいのではないでしょうか。お断りしては酷く嫌っているようですから
などと言うので、仕立てることに決めて、そのまま受け取り
こざっぱりと仕立てて、十月一日に、道綱に持たせて届けた。



道綱が帰宅して、とてもきれいにできたとおっしゃっていましたと
いうことだったが、それっきりになってしまい、あきれてしまった。

十一月に、地方官歴任の父の所で出産があったが、見舞いにも行けないで
過ごしてしまったので、五十日目の産養になり、お祝いの歌を送った。


「誰と知っている人もいない筈なのに」

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大げさなことはできないので、しきたり通りに白い色に調えた籠に
お祝いの言葉をいろいろと述べ、梅の枝につけて歌を贈った。

冬ごもり 雪にまどひし をり過ぎて 今日ぞ垣根の 梅をたづぬる

雪に閉じ込められた冬が過ぎて お見舞いもできなかったのですが
今日やっと、お子さまのお祝いを申し上げることが出来ましたと。



帯刀の長(たちはきのおさ)某(なにがし)という人を使いにして
夜になってから届けたが、その使いの者は、翌朝になって帰って来た。
頭から被って衣服の上を覆う薄紫色の袿(うちき)をもらってきていた。



枝わかみ 雪間に咲ける 初花は いかにととふに にほひますかな

雪間に咲いた梅の初花 若い母親の初めての子は あなたのお祝いを
いただいて いっそう美しさを増すことでしょうと万葉集にも歌われる。



季節は移り、正月の勤行の時期も過ぎた頃、人目のつかない所へご一緒にと
誘う人もあり、一緒に出かけたところ、たくさんの人が参詣に来ていた。

わたしを誰と知っている人もいない筈なのに、何ともわたし一人辛く
恥ずかしくてならないのは、今まで皆から見られていたからだろうか。


「風をひいて寝込み苦しんでいるうちに」

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参詣した神社の祓殿(はらえどの)などという所に、氷柱(つらら)が
なんとも言えないほど見事に垂れ下がっているのを見ると実に面白い。
色々と眺めながら帰る時に、大人なのに、子供の装束をつけて
髪をきれいに整えて行く人がいるので興味深く見ていた。



すると先ほどの氷柱の氷を、単衣の袖に包むように持って
食べながら歩いているので、由緒ある人なのかしらと思ったりもした。
その時、わたしと一緒にいる人が、話しかけたら、氷をほおばった声で
私におっしゃるのですかと言うのを聞いて、身分の低い者だとわかった。



その者は、ここへ来てこれを食べない人は、願い事が叶わないと言う。
縁起でもない事を言うが、その者も自分の袖を濡らしてると歌が浮かぶ。

わが袖の 氷ははるも 知らなくに 心とけても 人の行くかな

わたしの袖の涙の氷は いつ春が来るとも知らないで 張ったままで
解けそうもないのに 人は悩みもなくのんびりと歩いていくと詠んだ。



家に帰って、三日ばかりして、賀茂神社にお参りに行った。
雪と風が言いようもなく激しく、あたりが暗くなって、辛かった上に
風をひいて寝込み苦しんでいるうちに、十一月になり、十二月も過ぎた。


「わたし一人で泣いているのに」

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年が明け一月になり、一月十五日に、地震があった。
道綱の雑用を務める者が、地震だと言って騒いでいるのを聞いた。
その男たちがしだいに酔いがまわって、静かになどと言う声を聞く。
そっと端近(はしぢか)に出て外を眺めると、月がとてもきれいだった。



東の方を遥かに望むと、山が一面にかすんでいて、ぼんやりと見え
ぞっとするほど寂しく柱に寄りかかって、どこに行っても物思いは尽きない
などと思って立っていると、八月から来なくなったあの人は、連絡もないまま
時が過ぎ正月になってしまったと思うと、涙がとめどなくこぼれてくる。



もろ声に 鳴くべきものを うぐいすは 正月ともまだ 知らずやあるらむ

わたしと一緒に鳴いてくれるはずのウグイスは 正月になったのを
知らないのかしら わたし一人で泣いているのにと歌を詠み思った。



二十五日に、道綱は朝廷の儀式で、大臣以外の官を任命する行事の除目が
近づき忙しく、勤行をしているが、何故あれほどするのだろうと思ってしまう。

司召(つかさめし)のことがあって、あの人から珍しく手紙が来た。
道綱が右馬寮(うめりょう)の次官の右馬助になったと知らせてきた。


「ある所にこっそり出かけよう」

「Dog photography and Essay」では、
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道綱は、右馬寮(うめりょう)の次官の右馬助で正六位下相当の位階である。
道綱はあちこちに任官のお礼まわりをする時に、その役所の長官が
叔父にあたり、ご挨拶に伺ったところ、叔父はとても喜んでくれた。



道綱は挨拶のついでに、そちらにいらっしゃる姫君は、どんなお方ですか。
おいくつですかなどと尋ねた。道綱が帰って来て、出来事を話してくれた。
あの子はまだ無邪気で、恋の相手になる年頃でもないのにどうして
お聞きになったのだろうと思っていたが、そのままにしていた。



その頃、人々が、院の弓射の技を競う賭弓が行われると騒いでいる。
叔父の右馬頭(うまのかみ)も道綱も同じ組で、練習場に出かけていた。
叔父は養女のことばかり話すので、道綱は自分が言い出した事を忘れて
叔父は一体どうして養女の事ばかりなのでしょうなどと話していた。



そして、二月二十日頃、夢に見たと言う分が書かれていたが
それ以下は脱文しており、次の行まで夢の事が書いてあったのだろう。

大和物語に詠う、ある所にこっそり出かけようと決めた。


「夜が明けたというのを聞く頃」

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なにばかり 深くもあらず 世の常の 比叡を外山と 見るばかりなり

どれほど深くもなく ごく普通に 比叡山を人里近い山と見るばかり
大和物語・四十三段に詠われているような所だと思った。

野焼きなどする季節で、桜はもう咲いてもいいのに遅いので
いつもならきれいに咲いている横川の道なのに、まだ早過ぎた。



飛ぶ鳥の 声も聞こえぬ 奥山の 深き心を 人は知らなむ

飛ぶ鳥の鳴き声さえ聞こえない奥山のように深いわたしの心を
あのの人に知ってほしいという古今集・恋一の歌のように
奥深い山は鳥の声もしないものなので、ウグイスさえ鳴いていない。



川の水だけが、見たこともない凄まじさで、ほとばしって流れている。
ひどく疲れて苦しいあまり、こんな苦労をしないですむ人もいるのに
わたしは辛いこの身をもてあましていると思いながら
日暮れ時に寺で鐘をつく時刻に養女と共に寺へ到着した。



お灯明などを捧げて、数珠を一つずつ繰りながら立ったり座ったりして
巡拝する間に、ますます苦しくなってきたが、夜が明けたというのを
聞く頃に、雨が降り出し困った事になったと思いながら、僧坊に行った。


「そちらにいるあの娘はどうなったか」

「Dog photography and Essay」では、
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急に雨が降り出して、どうしたらいいのだろうと話しているうちに
夜がすっかり明けて、供人たちは、ミノだ、笠だと騒いでいる。
わたしは帰りを急ぐこともないのでぼんやりあたりを眺めていた。



前の谷から雲がしずしずと立ちのぼるので、ひどくもの悲しくなって

思ひきや 天つ空なる あまぐもを 袖してわくる 山踏まむとは

思いもしなかった 大空の雨雲を袖でかきわけて登るような山寺に 
お参りする身になるなんてと、あの時は思ってしまったようだ。



雨がどうしようもなく激しく降っているが、じっとしているわけにも
いかないのであれこれ雨をしのぐ工夫をして出発した。
いじらしい養女が、わたしのそばに寄り添っているのを見ると
じぶんの苦しさも忘れてしまうほど愛しく思われた。



やっと家に帰って、次の日、道綱が弓の練習場から夜更けに帰って来て
わたしの寝ている所に来て、殿から言われたことを、しきりに話している。

お前の役所の右馬寮(うめりょう)の長官から、しきりに養女の事を聞かれる。
そちらにいるあの娘はどうなったか。大きくなったか。女らしくなったかと。



「ごらん頂くことが出来なかった」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



殿はなにかおっしゃいましたかとお尋ねになったので、現状を
申し上げると、吉日に、お手紙をさし上げようと話されていた。

まだ恋をするには幼すぎるのにと思いながら寝てしまった。
長官から手紙が来たが、とても返事を気楽に書けそうもない内容である。



手紙の文面は、何か月も前から心に思うことがあって、殿に人を介して
お伝えしましたところ、殿はお話の内容だけはお聞きになりました。

今は直接お話するようにと承りましたが、身のほどをわきまえない
大それた望みを話すと、不審に思われるのではないかと、遠慮していた。



それに、良い機会もないと思っていたところ、このたびの司召の結果を
拝見すると、道綱の君が同じ役所に来られましたので、伺ってしまいました。

そして、手紙の端に、武蔵と呼ばれている人のお部屋に、なんとかして
伺いたいのですがと書いてある。武蔵は作者の侍女のこと。



返事をさし上げなければならないが、これはどういうことでしょうと
あの人に聞いてからにしようと思って連絡をとったところ
都合が悪いと、ごらん頂くことが出来なかったと道綱が手紙を
持って帰って来たが、それから二十五、六日になった。

武蔵の部屋に伺いたいとは、作者に直接対面することを遠慮した言い方。


「雨などに妨げられるものか」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



右馬寮(うめりょう)の長官である右馬頭は心配になったのだろうか
道綱のところへ、ぜひ申し上げたいことがと言ってお呼びになる。
すぐにお伺いしますと答えて、とりあえず使いは帰した。



そのうちに、にわか雨が降り出し、道綱は、お待たせしたら気の毒だと
出て行ったが、途中で使いに出会い、手紙を受け取ってもどって来た。
その手紙は、紅色の薄紙を重ねたもので、紅梅の枝につけてある。



いそのかみ ふるとも雨に 障らめや 逢はむと妹に いひてしものを

たとえ雨が降ったとしても雨などに妨げられるものか 愛しいあの子に
逢おうと言ったのだから。古今六帖・第一という歌はご存じでしょうね。

石上(いそのかみ)は、奈良の石上神宮周辺から西の方角で万葉集に詠まれる。



春雨に ぬれたる花の 枝よりも 人知れぬ身の 袖ぞわりなき

春雨に濡れたこの鮮やかな紅梅よりも 人知れず嘆くわたしの袖のほうが
血の涙に染まって真っ赤です。愛しい人、やはりお越し下さいと書いてある。


「世間では誰も知らないはずなのに」

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私の訳し方が曖昧でしたが、愛おしい人と言うのは道綱の母のことで
元々、兼家へ右馬頭が道綱の母の養女へ差出した手紙だと思う。
兼家が道綱を介して道綱の母へ右馬頭の思いを託した手紙だと感じた。

どういうわけか、愛しい人と書いてある部分は上から墨で消してある。



道綱が、どうしたらよいのでしょうと言うので、厄介だわねと思った。
途中で使いに会ったということにして、お伺いしなさいと送り出した。
道綱は帰って来て、どうして殿にご連絡なさっている合間の時間にでも
お返事をいただけなかったのでしょうと恨んでいたようでしたと話した。



二、三日ほどして、やっと父上にお手紙をお見せることができましたと。
父上がおっしゃるには、なに、かまわない。そのうち考えを決めてからと
右馬頭には話しておいたので、返事は、推し量って出しておきなさいと。
まだ子どもなのに、誰かが通ってくるのでは、具合が悪いだろう。



そちらに娘がいることは、世間では誰も知らないことだ。
娘でなく母親に通っているなどと、変な噂を立てられたらまずいと。
そんなことを道綱から聞いて、なんともいい気分はしなかった。
誰も知らない娘を、長官が知っているのは、あの人が漏らしたのだろう。


「長官はひどく遠慮していたように感じた」

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右馬頭の長官への返事は、その日のうちに書いて届けた。
この思いがけないお手紙は、今回の除目のおかげかと思いましたので
すぐにお返事をさし上げなければならなかったのですが遅くなりました。



殿になどとおっしゃったことが、とても不思議で気になりましたので
尋ねていましたところ、唐土に問い合わせたほど時間がかかってしまい
でも、やはり納得がいかない事は、なんとも申し上げようがなくと書いた。



手紙の端に、武蔵と呼ばれている人のお部屋にとおっしゃる武蔵は

白河の 滝のいと見ま ほしけれど みだりに人は 寄せじものをや

白河の滝をとても見たいけれど むやみに人を寄せつけてはいけないと
申しているようです。村上天皇の下命によって編纂された勅撰和歌集より



その後も、同じような手紙が何度もくる。返事は、手紙が来るたびに
出したわけではないので、長官はひどく遠慮していたように感じた。

三月になり、右馬頭は、あの人にも、侍女にも言付けて頼んでいたので
その侍女の返事を見せに使いをよこす。長官の手紙を見てみたところ。


「裾が丸見えですっかり慌てている」

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長官の手紙を見てみると、いったい誰と結婚させる気なのか分からない。
さらに殿は、今月は、日が悪い、来月になってからと暦をごらんになって
たった今もおっしゃっていますなどと書いてあるが変な話だ。
結婚の日を暦を見て決めるなんて早過ぎて変な話で、どういう事と思う。



まさかあの人がこんなこと言うはずがないと思った。
おそらく、この手紙を書いた侍女の作り話ではないのだろうかと思う。

四月になって、月初めの七日の昼に、右馬頭さまがいらっしゃいましたと
侍女が言うが、侍女に結婚の話だろうから、私はいないと言ってと。



侍女に言うが早いか右馬頭の長官は入って来て、垣根の前にたたずんでいる。
竹などで目を粗く編んで作った垣根なので、私の姿がはっきり見える。
いつもさっぱりときれいな人が、艶のある袿に、しなやかな直衣を着て
太刀を腰につけ、赤色の扇の要が少しゆるんだのを手でもてあそんでいる。



風が強いので、被った冠の纓を吹き上げられながら立っている様子は
絵に描いたようであるが、気品のある人がいると侍女が言うと皆が出て来る。

侍女たちが、打衣と表着の上に裳など無造作にくつろいだ姿で出て来た所へ
風がひどく吹き簾を外へ内へと揺らし、裾が丸見えですっかり慌てている。


「娘はまだ結婚にはふさわしくない年齢」

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風が強く吹く中で、スダレを頼りにしていた侍女たちが、簾を押さえたり
引っ張ったりして騒いでいる間に、今更どうしようもないが、侍女たちの
見苦しい袖口も長官の目に留まっただろうと思うと、死ぬほど情けなく辛い。



道綱は弓の練習場から夜遅く帰って来て、まだ寝ていて起こしている間に
こんな事になってしまったが、道綱はやっとのことで起きて出て来て
ここには誰もいないことを長官に言うが、恥ずかしい所を見られてしまった。



風がひどく気分も落ち着かないので、前もって格子を全部下ろしていた時で
どう言いつくろってもおかしくなかったが、長官は強引にスノコに上がって
今日は吉日なので、座り初めの為、円座をお貸し下さいと話しただけで
長官は、今日は全く来た甲斐がないと、ため息をついて帰って行った。



二日ほどしてより口頭で、留守の間にお越し下さったとの事で、お詫び
申し上げますという挨拶を道綱に申し上げさせたところ、長官は、その後
とても不安になって帰ったものの、ぜひお会いしたくてと、言ってくる。

娘はまだ結婚にはふさわしくない年齢だから、長官との結婚は許可できない。


「扇のあたる音だけが時々していた」

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長官は何とか娘と結婚したいと通って来るが、私の老けた聞き苦しい声を
お聞かせするわけにはと言ったのは、結婚は許さないということなのに
道綱に、お話しがしたいと言うついでに、長官は日暮れにやって来た。



私はしかたがないと思って、格子を二間だけ上げて、スノコに灯りをともし
ヒサシの間に招き入れ、まず道綱が会って、長官は縁に上がって来た。
道綱が両開きの妻戸を引き開けて、こちらへの声がして歩いてくる気配がする。
まず母上に取り次いで下さいと小声で言い、道綱が私の所に入って来た。



道綱は長官の意向を伝えるので、お望みの所でお話ししなさいと言うと
長官は少し笑って、程良く衣擦れの音をさせて廂(ひさし)の間に入って来た。
道綱と密やかに話をして、笏(しゃく)に扇のあたる音だけが時々していた。



私のいる奥の部屋からは、何も言わないまま、やや時が経ったので
長官は道綱に、先日はお訪ねした甲斐もなく帰ったので、なんとなく
落ち着かなくてと申し上げて下さいと取り次がせた。道綱が、どうぞと言うと
長官は様子を伺いながらにじり寄ってきたが、すぐには何も言わないでいた。


「ぎこちない話をするうちに夜も更けて」

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長官は暫し何も言わないが、まして私からは声もかけれない。しばらくして
不安に感じているかも知れないと思い、私が軽く咳払いをきっかけに
先日は、あいにくお留守の時にお伺いしましてと話し出してから
娘を思い始めてからのことを、いろいろと話し出す。



私は、結婚など不吉に感じるほどですので、そのようにおっしゃいますのも
夢のような気がしますし、娘は小さいどころか、世間で言うところの鼠生い
生まれたばかりの鼠のように小さく幼いので、とても無理なお話と答えた。
長官の声がひどく取り澄ましたように聞こえるので、なんとも答えづらい。



雨が乱れ降っている夕暮れで、蛙の声がとても大きく聞こえて来る。
夜がどんどん更けていくので、わたしから、こんな気味の悪い所では
家の中にいるものでも気分が落ち着きませんのにと話しかけてみた。



長官は、こちらにお伺いして皆さんが居るので、恐ろしいことはありませんと
ぎこちない話をしているうちに、夜もすっかり更けて、長官より道綱の君が
賀茂神社の使者になるので、その準備も近くなったようですが、その時の
雑用でも勤めさせていただきますから、殿にもお伝えくださいなどと言う。


「吉日があると責め立てられる」

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道綱が賀茂神社の使者になり、長官はその準備の雑用でも勤めたいと
殿のお考えを伺い、また殿のお言葉をご報告に伺いますと言うので
長官はここへ泊まらずに帰るようだと思い、間仕切りの几帳の
縫い合わせてない帷子(かたびら)をかき分けて外を見てみた。



簀子(すのこ)に灯してあった火は、とっくに消えていた。几帳の内には
物陰に灯りをともしていたので、明るくて、外の火が消えているのも
気づかなかったが、こちらの姿も見えたかもしれないと思うと呆れた。



火が消えたともおっしゃらないで意地が悪いのねと言うと、いえ、別に
不自由はしなかったのでと、控えている供人も答えて長官は帰って行ったが
右馬寮の長官は、一度来始めると、度々やって来て、同じことばかり話す。



こちらでは、お許しの出る殿から、話がありましたら、辛くてもそのように
するでしょうと言うと、長官は、その大切なお許しは頂いていますのにと
言って、うるさく責め立てる。そして、この四月にと、殿のお言葉もあり
二十日過ぎの頃に、吉日があるようですと言って責め立てられる。


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