技術オタク
原発が蒸気発電で成り立っているシステムだ、という事実をほとんどの国民はこれまで知らされていない。当事者のすべてが説明することを避けていた。水を熱していくと最大100℃で、液体の水の総てが気体へと変わる。この程度の熱を得ることができさえすれば、発電することなど簡単なことなのだ。核分裂反応を持ち出さすまでもなく、蒸気発電を行う程度の熱または圧力でよいのだから、発電機をつくることにとりたてて課題はなかった。発電所では磁石を回転させることで磁場変化を導き、磁石が発している磁束密度と導体の関係が、90度の角度を保って交わった時、一定の起電力がそこに潜在していることを、19世紀後半頃には突き止めていた。磁石を回転させるための強い動力を、間断なく伝えつづけることによって、電流を安定的に誘導することができる、ということがその頃までに認識されていた。これが交流電流を止まれなくした、そのたった一つの理由であった。磁石の極性が交互に切り替わっている条件が成り立っているとき、そこに回転数に応じたヘルツ波をもった電流が、負荷の発生を契機として生み出せるようになっている。これが自然界に存在していなかった交流電流を、人工的に作り出すための発電原理となった。そこで70年代に起きた石油ショックのあと、燃費効率が優れて高い原発に白羽の矢がたったのである。世界中の技術者たちはこうした情勢のさ中にあって、原発にしかできない熱効率の高さに例外なく魅了されていた。石油危機が相次いで発生したのは、73年と79年のことだった。世界中がこのとき、石油の安定確保に血眼になっていた。そこで核分裂反応を利用する原子力発電へと、先進諸国の間で開発競争が一斉に始まった。地下資源の枯渇が懸念されていたこともあって、当時原子力の平和利用が世界中で関心の的となっていた。ここがその後の文明が辿ることとなった道の分岐点。原発は熱効率という点に於いて、非常に優れた電源であったからだった。だが消費者がもとめていたのは原子力工学の進化などではなく、実用に資する発電効率の高さとそれが連れてくる廉価な電力だけだった。支配体制に属していた指導者たちは原発のコスト効率の高さを評価し、地下資源が確保できなくなった未来社会で不可欠となる新電源の開発に、その頃から真剣に取り組むようになっていた。エネルギー安全保障政策の最大の眼目は、エネルギーの自給自足体制の確立なのである。地下資源の枯渇という切実な将来確実にやってくる難題の解決が、いまや目前に迫ってきていたからだった。その後石油の可採埋蔵量が大きく増えたことも加わって、核燃料に依存する必要性は急速に衰えた。国民が必要としていたのは電力の安定供給ということだったのであり、経済成長にとって不可欠なものと認識していたからである。高めた蒸気圧でタービンを回してやれば、たとえ放射性を放つ有害な資源だったとしても、背に腹は代えられないと誰もが感じていたからだった。案じていた放射能による人体への被爆の強制など、経済成長至上主義となっていた当時の指導体制の下では、問題ではなくなってしまっていたのだ。決して枯渇しないというフレコミのエネルギーを、動力源とすることができるのが原発というものなのだ。核燃料を繰り返し再利用することができる、と日本ではしきりにそう報道されていたものだ。核分裂反応を前提とする放射エネルギー(能)だったとしても、それに勝る道は当時残されていなかった。発電ローターを回すための動力伝達系の新開発こそが、まさに急務となっていのが大阪万博が開幕したこの年(1970)だった。国は核分裂反応が生む電源の商業利用を決断していたため、その他の方法が検討される可能性は消え去っていた。水はたった100℃の熱で気化する分子。この事実から判断すると、電力を生み出すために核反応で生じる高温などは必要なかった。僅か100℃の熱を与えてやるだけのことで、液体だった過去を持つ水蒸気を生み出すことができたからだった。蒸気機関は18世紀半ばまでに発明されており、水を気体にするためには100℃にするための熱があれば充分だった。そのまま密閉して放置しておけば、蒸気が内圧を勝手に高めるようになっていた。つくった蒸気を容器内部に密封しておくと、ガスにかかる圧力は時の経過とともに高まる。その力を利用する仕組みが産業革命を生んだのであり、蒸気機関車で列車を牽引することを容易にした。出口を塞がれた水蒸気は容器内で次第に圧縮され、単位当たりの気体密度を連続的に高めつづける。こうした強い圧力を誘導したことで、重い蒸気機関車が列車を長く牽引できるようになったのだった。この動力が文明の進歩を格段に早め、産業革命の恩恵を地域を問わず、その後長く享受できるようなものにした。水を蒸気へと変えそのまま放置しておくだけで、蒸気の粘性を利用した動力を確保しておくことができるのだ。電力の供給事業を進めてしていくためには、原発の登場を待つまでもなく条件は夙に整っていた。蒸気圧を高めて発電タービンを高速で回してやれば、一定の回転数を保つことなど簡単な仕事だったからである。周波数を安定させておくことなど、実にたやすい仕事なのである。磁石を一定の速度で回っているようにしておけば、高品位の交流電流を取り出すことなど誰でもできるようになっていた。一億度の超高温を必要とする核融合で、発電する電源システムを完成させたところで、単純廉価で実用性を備えた小型電源が登場していたら、最先端技術が国益に適うことにはならない。蒸気発電という方式では、100℃の熱があればそれで十分なのである。比較的低温の熱の供給が可能になっていれば、発電装置の開発は簡単にできるのだ。だが、政府は核燃料の備蓄と大量保存に一貫して拘った。高温ガス炉と呼ばれている別の方法(ISシステム)でも、更に高い熱を得るためにガス流を強く絞る追加圧縮が必要だった。開発プランとしては興味深いものではあるのだが、実証モデルができたとしても、蒸気発電が要求する100℃の熱に比べると、余りも高すぎる熱となってしまうのだ。核融合炉でも高温ガス炉でも高すぎる熱の管理は至難であり、持て余すだけのことになるだけだ。発電にとって合理性を失った技術では、役に立つどころか足手まといになるばかり。過剰なスペックにしなければならなかったのは、研究開発案件が余りにも魅力的だったからだろう。実用化の段階でそれほどの高熱にする必要が、一体どれほどあったというのだろうか。技術倒れになってしまったら、元も子もなかろう。原発は真っ先に導入されそれなりの成功を収めていたものの、スリーマイル島とチェルノブイリそしてフクシマで、三度つづけてメルトダウンを惹起したその事実はトワに消せない。熱核融合では最低一億度の熱を、一秒以上持続することが必須条件となっている。発電機を回すための蒸気を作るためだけに、危険なほどの高温を求めた経緯には問題が潜んでいる。毎分三千回転するローターが安定して動いていれば、それだけで十分だったのである。100℃を超えた熱水蒸気を、最先端技術の原発に切り替えることが何故必要だったのだろうか。水が熱分解して水素と酸素とに分離されてしまったことで、水蒸気爆発と当時形容された大事故をフクシマで引き起こした原因だった。これは水素爆発と同じことなのだ。水素の純度を水の熱分解プロセスが、効率よく高めたからだった。水を元素へと戻す方法は電気分解の他に、熱分解という方法が知られている。火山の噴火で山体の内部にあった大量の水が水蒸気となっていたことで、高温の溶岩が起爆元となった時に見られる現象だ。単純な課題を捏ね繰り回してより複雑なものにした。発電システムとして利用するための熱は、たった100℃あればよかったからである。原子力発電というのはこの程度のものだったのであり、設備は厳重に保守点検していなければならなくなった。発電するという目的のためだけであるのなら、高度な原子力工学系の技術など必要なかった。永久磁石とコイルがあれば、磁場の変化を与えるだけで事足りていたからだ。シンプルな課題を複雑化して解決しようとしてきたのが、技術オタクとなっていたアタマデッカチたちだった。彼らに連なる系列の一部がいま、熱核融合炉の開発に日夜勤しんでいる。根拠不明の間接情報を信じてCO2削減に努めてきたのは、気候対策に脱炭素が有効だと決めつけていたからだった。根拠不明のこの情報を受け売りしていたのは、国連に代表される似非知識人一同と、周辺に犇めいていた環境保護団体だったのだ。脱炭素運動に奔ってCO2に濡れ衣を着せたのみならず、真犯人である熱水蒸気の罪を知る機会を遠ざけてきた。この経過の裏に潜んでいる権威への忠誠心が、環境問題の解決をいつまでも先送りさせていた。狂信者集団となったゾンビの群れから解放されない限り、気候変動が改善するという見通しは立たない。科学の基礎が成立していいないことさえ自覚できずにいるところに、CO2削減が科学だと勝手に解釈して熱心に吹聴し、実効のない環境対策を連ねて世界に富の喪失を強いている。CO2のモル質量の計算をやっていたのだったら、それが空気より重いことは明らかとなっていたのだ。ドライアイスの白煙が地面へと降下してゆくその姿を、子供のころから何度もみていながら、それが空気より重い所為であるとは考えたことがない。思考力を失ってしまっていたからだ。権威主義者にとって考える力というものは、共産主義者にとっての民主化運動のようなものなのだ。権威が判断を誤ったとき信奉者たちのすべては、彼らが冒した錯誤を批判することができない。偏った狂信者の集団へと、その属性を却って逆に強化してしまうのだ。多数派が共有した錯誤の変容、という経過の関与が健全だった民主主義を劣化させたのは、思考力の欠如なのである。判断の正当性を担保するものの正体を見誤らせてきたのが、環境異変の出現だったのであり気候変動の登場だった。そこで間違った対策であるとは知る由もない国連の文官たちが、勝手な解釈を施して地下資源を燃やして高めたCO2を量産し、それが温暖化の原因だ即断してしまったのだった。間違った認識に基づいた錯誤をそれとしらずに、脱炭素運動へと世界中を靡かせてきたのが国連だった。引っ込みがつかなくなって既に久しい現在、二進も三進もいかなくなっているというのが目下の実情だ。高圧の蒸気を発電タービンに吹き付けると、重い発電機を高速で回転させることができる。特に原子力エネルギーでなければならない、という理由などどこにもなかった。地下資源を燃やして得た100℃の水を蒸気へと変えて貯めこみ、内圧を高めて高圧にするだけで条件は整っていた。地下資源を燃やした熱で水を気化して蒸気をつくり、できた水蒸気に圧力をかけて不要なほどの高熱を、火力発電所の排煙筒から空気圏へと放出させてきた。発電過程でメタンCH4から二次生成した二つの温室効果ガス、つまり大量の水蒸気H2Oとその半量のCO2とが、高圧化されていく段階で圧縮熱を否応なしに抱え込む。蒸気発電の課題となっていたのが、これら二種混合の温室効果ガスの群が共有する高すぎた熱だった。こうした理由で大気圏は、火力発電所が絶えず生みだしている高温の廃熱の捨て場となっていたのである。地下資源を燃やしてつくった高温となった熱が、水蒸気を100℃以上の温度へと押し上げ、温室効果ガスとなった熱水蒸気が不要となった廃熱をまとめて空気圏へと捨ててきた。こうして空気圏の上にある広大な大気圏へと、温室効果ガスが拡散されていく経過が定着していた。平均気温の上昇がつづいているのは、こうした蒸気発電が生んだ副産物の正体に、国連が無関心のままでいたからだ。ガスの種類によって温熱と冷熱のどちらかの熱が、加えられた圧に比例して強められていた。エアコンの冷媒は圧縮すると冷たくなるタイプのガスだが、水蒸気とCO2は圧縮過程で温度を高めるタイプのガスなのだ。ガスにかかっている発生圧力を貯めて置くと、次第に高い熱を帯びた混合気体ができあがる。これが温室効果ガスと呼ばれているものの正体だ。空気より軽いガスなら大気圏を上昇してゆくのだが、重いガスではそうはならない。CO2が空気より重いという事実は、ドライアイスの白煙が示す行方が、予てからそう告げていたことなのである。火力発電と原発が吐き出した廃熱は、最大で300℃近い高温にまで高まる。これがそのまま排煙筒から空気圏で外気と混合する。原発は完全閉鎖系であることから、熱交換したあとの廃熱だげが海水を間接的に温める。世界中の火力発電所の蒸気窯からは、高温となった温室効果をもったこれらの混合ガスが、絶え間なく大量に吐き出されているのである。周波数を与える側の交流電源は、変化したり止まったりしてしまうと、交流電流ではなくなってしまうからである。大気圏全域に熱を加えていたのが、火力発電所が吐き出した廃熱をもった熱水蒸気だった、ということが地球の平均気温を高めつづけていたという訳だ。空気より軽い水蒸気は上昇してやがて雲となり、大気圏へと達してそこに集まる。保っていた熱を用いて大気温を熱平衡状態になるまで温める。空気より重いCO2は地表へとそのまま降下し、海に着水して抱いていた熱をそこへと移し、上昇気流をその海域で低気圧として発生させる。ドライアイスが自らの重みでやっている降下プロセスを、火力発電所の排煙筒から放出された見えないCO2がやっているのだ。ドライアイスは常温に接すると白濁したガスになる。温度を高めたドライアイスは透明となり、目には見えなくなっている。この透明なガスとなったCO2は誰にも見えない。ドライアイスはマイナス70℃と低温であるため、冬の呼気が白濁してみえるのと同じ理由で、目で見ることができていた。海水面の着実な温度上昇は太陽からの輻射熱と、海面からの反射波とがそこで複合したことに加え、CO2がもっている燃焼炉の廃熱を含んでいる。平均気温が止まることなく上がりつづけているのは、当然の経過であるといえるだろう。実証観測を続けていたのであれば、変化の経緯は明瞭な姿となって現れていたのだ。シンプルな技術であればあるほど、意味をもったシステムとして後世へと伝えられていく。産業革命を成立させた蒸気機関が18世紀に登場したことで、気候変動へといま繋がったということになるだろう。異常気象は蒸気発電所が引き起こしたものに相違ないのだ。火力発電所と原発が共同でこれまでやってきたことが、こうした変化を生み出したということになるはなしだったのである。1733年の産業革命から21世紀の2033年までの300年間に、蒸気機関が文明と環境に与えてきた負の影響は、実に計り知れないほどのものとなってしまうだろう。大気圏に高温となった温室効果ガスをまき散らした、ということが多くの不具合を地表の至る所で引き起こした影響に関与したのだ。水蒸気に与えた熱を大気圏へと移動させ、空気圏全域を水蒸気で温めてきた。半可通(ペダント)がこぞって問題を拗らせて、不毛な経過を不幸な事態へと引き継いだ。気候変動は紛れもなく、人災以外の何ものでもなかったのである。交流電流に関する基礎的な情報が、特定の意志を隠し持った集団に機密として抑え込まれていたのだ。技術オタクが進むべき道を誤ったのも無理からぬことだった。誘導法則を理解していたか否かということが、当否判断の分かれ目となっていた。身近な媒質を探し出して動力として用いる、という方式である未来の電源系は、当初から文明に対して与えられていたものなのだ。だがそれを実用化する時の到来は、これからやってくる未来のどこかなのである。新自由主義で行き過ぎた資本の論理が新電源登場の邪魔だてをしているうちは、気候変動改善の効果を期待していてはならない。多数勢力が問題の本質を見る目を備えたあと、握りしめている謬見を突き放すようになったとき、はじめて神秘の扉が厳かに啓かれる。それまでの間しばし、辛抱しながら耐えて過ごしていなければなるまい。明るい未来を展望できるようになるまで、拙速は最大のリスクとなって文明の意志と覚悟を試しつづける。