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2019/03/24
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 熱エネルギーによる電力創出法が長期化すればするほど、環境破壊が進んでしまうのは、エントロピー増大の法則とよく合致する当然の変化。火力発電に文明が依存し続けている限り、温暖化による気候変動リスクは高まり、降水量の増加による洪水被害の死者数は増える。地形の変化を生み出す破壊力は次第に強化され、生命に対する淘汰圧も同時進行するようになる。温室効果による熱の更新プロセスの定着が、自然環境に対する破壊圧と、生命に対する公平な淘汰圧とを、連動した状態でその進行速度をより早める。こうして生まれでた熱の循環系列と、それに基づく温室効果ガスの再生産システムとが、最終的に望ましからざる最悪の結果へと結びついてゆく。

 

 安定していた麗しい気候が熱の大量生産に伴い、乱雑性を次第に増してきていることから、エントロピーが増大しているとするその根拠が、温暖化現象となって顕在化したと、いうことなのだと思われる。熱源を必要とするすべての系は、必然的に乱雑化するという、不可逆性のサイクルに組み込まれる。エントロピー増大の法則を証明することになるのが、温暖化とそれに伴う気候変動なのであり、結果として二次的に発生する暴風雨などの自然災害の増加と、降水量の急速な高密度化、そしてその結果である洪水の多発と、海面水位の不可逆的で着実な上昇、そしてこれに連動するカタチで派生する、島嶼国家の水没という反応の果てに、負の変化を募らせるという経過が最終的に確定する。気候が安定していた時代には、考えられなかった多くの変化が、時を同じくして一斉に出現するようになるだろう。麗しかった地球環境が敵対的な姿勢をとるようになったのは、人類が熱を使って電気を生み出すようになってからのこと。

 

 失ってしまった環境条件を復元しようとして、再生可能エネルギーの導入促進が図られたのだったが、経過を見ると減らしたはずの二酸化炭素が、削減に努めていた京都議定書が定めた、その履行期間の二十年を通じて、一貫して増え続けていた、という現実を突きつけてくる事態へと発展してしまっていた。この皮肉な結果を引き起こした原因こそ、直流と交流とを混同したまま、誤って理解していた、ということに未だに気付かずにいる、という知識階級が陥った事態に由来する皮肉な錯語。二酸化炭素の排出量を減らそうとして、太陽光や燃料電池などの直流電源を増やしたところで、火力発電や原子力発電などの交流電源の負担割合が同率で減る、という理屈は本質的に成り立たない。交流電流の最大の特徴である周波数を理解していなければ、相関関係が成り立っているかどうかを、確認することは要するにできないからだ。直流と交流の違いを混同している、という事実を理解することができるようにならない限り、温室効果ガスの濃度上昇はこれからも着実に進み続けて止まらない。

 

二次電源をもたないタイプの風力発電システムは、交流出力型の電源モデルであるにせよ、回転能力が吹く風任せで不安定であため、発生させた周波数は絶えず変動し続けていなければならず、出力の安定性は失われたままとなっている。誘導電源は誘導法則にしたがうため、負荷がなければ発生し得ない。そこで電池電店を負荷の代わりに於いておく必要に縛られた。要するに使い物にならない交流電流を、生産し続けるものでしかない、というのが風力発電システムのもつ本質的な欠陥なのだ。電力会社が用意したバックアップ電流なしに、単独で自立運転するのは太陽光発電と風力発電の双方にとって、どうみたところで不可能な話だったのである。国民が負担してきた太陽光付加金の総額が、二兆四千億円に達したことが、昨日平成31年三月23日に公表されている。それでいて地下資源の輸入量には何の変化も見られない。言及した事実自体、がかつて一度も存在していなかったからである。実に不可解なことが、公然と隠されていることを訝しむ。

 交流送電というインフラが成立している場合、発電機の回転数が変化して、周波数の同一性が失われてしまうと、ブラックアウトを引き起こすリスクが自動的に高まる。その事例は半年前に北海電力が、既に実証していたことである。交流と直流の違いを弁別する能力が知識階級に不在となっているとき、直流電源である太陽電池を増やせば、交流電源である火力発電所の負担が同率で減る、という具合に単純化した状態で、勝手に都合よく決めつけてしまうのだ。この認識の誤りに長期間まったく気付かなかった、ということがパリ協定の成立を関係諸国に急がせた。だが、その実効性を保証するための根拠を、誰も持ち合わせてはいなかった。だからこそ達成目標の期限を、具体化して提示することを避ける必要があったのだし、未だにそれができない状態で、停滞していることを余儀なくされているのである。

 

 学力で思考力を計量化することは、固よりできない。考えるための基本的な能力は、遊びを通じてしか養えないものであるからだ。要素抽出と要因分析を繰り返す訓練を積み重ねていれば、簡単に分かっていた筈のコトだったのだが、知識の吸収を最優先する高等教育のあり方が、思考力を育てるための時間を惜しみ、考える能力を退行させてしまっていた、ということができるだろう。遊ぶ時間を減らして知識の量的拡大を優先する、という学力重視の画一化された高等教育のあり方が、交流と直流に関する弁別能力をヒトから奪い、その事実に無関心であり続けていた、という累々たる過去の諸事実が、止まらない温暖化を生み落す、という拙い経過をいま遅れて差し出している。パリ協定の成立はその単なる結果のひとつ、であるに過ぎない。当事者のすべてが、交流電流に関する基礎的な知識をもっていない、という事実を立証する愚劣な一連の経過こそ、環境異変を強制された地球が送ってよこした、文明に対する最終的なメッセージとして読み取る義務が文明にある筈だ。






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最終更新日  2021/02/01 07:13:53 AM
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