経済メカニズムとは何のことか
バブル経済に引導を渡したその原因となったものとは、不動産融資に対する総量規制の実施であった。加熱する一方の不動産投機を鎮静化させようとして、金融機関による融資に天井を設定したということが、膨張を続けていたバブル経済に針孔をあける結果となった。1989年10月に行われた閣議に於いて、当時の政府内閣が熱さましに最適だと判断した解熱剤が、劇薬として作用することになるということを、誰ひとり理解していなかったという事実が記録にある。バブル経済を生みだしていたそのメカニズムの関与を、国会が正しく理解し意味を承知していたのであれば、経済成長に急ブレーキをかける決定打となったその行為に、賛成する議員がでていた筈はなかったのだ。要するに国会の成員のすべてが経済認識能力をもっていなかった、ということが災いとなって日本経済にその後の長い低迷、を与える唯一の動因を形成させたということになったのだった。 不動産投機を牽引していた資本のメカニズムとは、絶対に値下がりしないとされていた土地神話を利用して、消費者による実際の需要を見越して、土地を業者が先行取得しておくことにより、転売時により大きな利益を上積みできるよう、不動産価格を上げ続けようとしていた、投機目的の投資家の思惑と実需が一致したことにより、不動産の値上がり益に期待していた消費者の心理を煽っていた、巷の経済評論家たちの前向きな誘導による相乗効果で、実需に先駆けて発生させておいた仮需が、相場形成を誘導するようになっていた背景の関与を忘れて去ってはならない。そのメカニズムが不動産融資に対する総量規制が実施された90年四月一日以降、突如として機能しなくなったことから、手持ちの不動産を売却してからでなければ、新たな仕込みをすることができない、という状況を市場が与えていたのであった。 加熱した土地相場を冷却する目的で導入されたこの融資規制の特別な措置が、資本の流れ全体に強い影響を及ぼす、という誰も想定していなかった経緯を、日本経済へと与えることとなったのだった。将来の値上がりを期待して先行取得しておいた不動産を、やむを得ず処分しなければならなくなった市場参加者の大勢を占めていた業界は、手持ち資産の売却をせざるを得なくなり、高値を維持することができなくなってしまったことから、不動産価格はその後緩慢に低下するようになっていくこととなり、担保価値を減じた不動産の仮の保有者となっていた投機筋が、金融機関から担保割れを指摘されるようになった時を境に、不動産価格の反転下落が明らかとなったのだった。この経過が全国へと広がっていったのだが、神話を信仰していた実需の消費者の多くが却って買い急いだことから、バブルの崩壊をまだら模様に染めていたのだった。 バブル崩壊に指導体制とメディアが気づいた92年までの間に、銀行配下のノンバンクが不良債権を大量に抱え込んでしまっていたことから、出資元の銀行が信用不安を預金者全体に抱かせた。これが大阪で最初の取り付け騒ぎを引き起こすこととなり、昭和恐慌の再来を恐れた政府は、必要以上の公的資本の注入を金融機関に対して強制的に行った。 この一連の経緯が金融機関に再編を迫ることとなったため、メガバンクが四つ同時に誕生する契機となった。その過程で公的債務の返済を急ぐようになり、融資の引き上げと新規融資の拒絶を銀行は一斉に行ったのだった。それが世に言う貸しはがしと貸し渋りのことである。中小企業の経営者が真っ先にその被害を受けとことにより、資金繰りに行き詰まって自死するという事態を陸続として発生させる結果を生んだ。 値上がりし続けるという資産効果が生みだしていたインフレメカニズムを、政府が自らの手で消し去った、ということが日本に与えられていた急速な経済膨張を、失わせた原動力となったといえる経過であった。国会の不明で引き寄せた判断の重大な誤りが、その後のデフレスパイラルの発生へと繋がったのであり、それを打ち消すための措置として、新たに導入された経済政策であるアベノミクスをも、その後生みだすことともなったのである。この経緯を時代の当事者たちのすべてが見失っていたために、未だに総括することを先送りし続けることなっているのだ。 アベノミクスにみられる根源的な欠陥は、螺旋形の効果をもつメカニズムの創出に無関心でいる、という其の一点にある。様々な要素群からなるリンクが成り立っていればこそ、メカニズムの形成が可能になるのであり、バブル経済を成り立たせていたインフレメカニズムに、堰を設けて資本の流れを止めてしまったという愚かなその政策が、日本経済に失われた20年と、それに連なるデフレスパイラルとを生みだしたということになっている。 成立していたインフレメカニズムを断ち切ってしまったのは、加熱した経済を冷やせばよい、と政府与党が単純にそう思い込んだことにより、量的規制を思慮なく機械的に実施することを許した、国会の成員すべてに責任のある結果となったことに全員が目を瞑っている。野党に経済認識能力が保持されていたのであれば、審議で問題点を指摘する程度のことは容易にできていたのだ。ここに日本という国がもつ、特異な知的障害の事実が厳として横たわっているのである。 国会が犯した判断の過ちが、めぐり巡ってアベノミクスという、不毛な政策の導入実施へと結びついたのである。アベノミクスがこれまでに導いたことは、円安の誘導実現と、それによる株価の上昇にとどまっていて、それによる賃金の上昇という恩恵を受けたのは、為替差益の拡大で潤った輸出産業と、周辺の関連企業などに留まっている。 円安効果は同時に輸入品の価格を押し上げたことから、国民の可処分所得をより早く狭めただけでなく、労働者間の所得格差の拡大という変化をも生み出した。新会計年度から実施された消費増税の影響も加わって、国内総生産はマイナス成長を記録した。日銀による量的緩和は二度にわたって実施され、国債の価格を押し上げて長期金利を却って大幅に引き下げた。財務官僚だった日銀総裁の不見識が生んだ、実に粗末な経過がここに記録として残された。 インフレメカニズムが成り立っているとするためには、物価の上昇だけでなく、所得の増加と金利の引き上げが連動して起きていなければならず、公的資本による円安誘導と、株価の制御などを未だに平然と行っているようでは、健全なインフレメカニズムが成り立っている、とすることは到底できない。 株式市場はアベノミクス以前から官制相場となっていることから、そこに年金機構と日銀からの資本投下で、株式市場は経験値を覆す不思議な展開を、その後頻々と見せる様相を呈しつづけている。不自然なこときわまりない、意図的な市場誘導が牽引する相場には、最早経済指標としての機能は失われているのだ。株価の上昇が市場のダイナミズムを反映したものでない以上、参考にするべき何の価値など最早なくなっていたのだ。公的資本による恣意的な価格誘導を放置する市場は、存在理由を既に失ってしまっている。 バブル経済を成り立たせていたメカニズムを断ち切ったもの、それは紛れもなく国会の不見識なのだ。デフレ経済からの脱却を標榜し、消費税を10%へと高めるために導入されたアベノミクスで、インフレメカニズムを生みだせると勝手に目論み、所得格差を一部で押し広げはしたものの、インフレ誘導を実現したと勝手に自負するようになった内閣は、長期金利を引き下げつづける経過を反対に抱え込み、インフレメカニズムを成り立たせるためのリンケージを失って、尚昂然としていられるというのは、一体どうしたことなのだろうか、甚だ疑問とするところなのである。 不可解な現象が観測されている状態であるのなら、そこには不健全な思惑が蟠踞している、ということを最初に疑って然るべきことなのだ。デフレの時代を通じて、官僚と選良は共に例外となる一年を除き、訳知り顔でインフレ型の予算を組み続けていた。そのために赤字国債の発行残高は、五倍となる1000兆円を去年既に突破してしまっていた。霞が関と永田町とが錯誤の連携をとり続けていたことで、日本経済に生じさせた不始末のその責任を、国民すべてに公平に取らせようとしてきたのが、この度の消費税の税率変更という行為であるに他ならない。 劣化した財務体質の復元義務は、誤った意思決定を行った原因を有するすべての者が、均等かつ公平に引き受けるというのが、筋でありものの道理というものだ。ここで一本筋を通すことができなければ、肚の座った政治家になることは土台無理。国の劣化はこのようにして、日夜弛まず着実に進められていくこととなっている。これこそが学力重視へとシフトした教育制度の変更、という失敗が導いた日本の宿痾となったものの正体なのである。